第3遊水池 種子島大戦略2001 [アルバム編]
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種子島大戦略2001
[アルバム編]
2001年10月記

光学機器マニアの某氏の1600ミリ望遠カメラ「に」デジカメを接写

 種子島で写した写真の数々のうち、ちょっといいものにコメントをつけて収録。まず、写真の軽いおもしろ編から。見ているうちに、後ろの重いまじめ編がダウンロードされると思う。



 南種子町の看板。そこらじゅうにこういうのが立っている。町の人間は打ち上げを応援している(全員ではないにしても)。
 打ち上げの翌日には「おめでとうNASDA」に変わっていた。フットワークのいいことだ。



 同じ南種子町の目抜き通りの、上中交差点。こはなんぞ。
 よく見ると、信号が可倒式である。実はこの交差点は、島間港から島に上陸したロケットがTNSC(種子島宇宙センター)に輸送されるルートに当たるのだ。ロケットを通すために曲がるようにされている。



 少々わかりにくいが、「タネガシマミチモドキ」の例。
 タネガシマミチモドキとは、種子島特有の生物で、道に潜んで旅人を迷わせる妖怪。妖怪というか、要するに曲がっていた道を道路工事で直線にした後、曲線部が放置されたもの。よく間違えて入る。
 街の近辺では休憩所やバス停として利用されているが、ちょっと人里を離れるとかなりの大物が結構生き残っている。
 


  「メタルスライム」と勝手に呼称。なんだか不明。島の西側の国道58号で発見。 


 棒火矢(ぼうびや)。西之表にある種子島開発総合センター(鉄砲館)にて。
 黒色火薬を使った固体ロケットだが、純粋な自立型ではなく、砲に詰めて撃たれたという。
 種子島には昔からこういうものがあったのである。寛永年間に製作され、4Kmも飛んだらしい。安定フィンまであるこのデザインはどうだ。
 鉄砲館にはこの他にも、郷土の歴史資料、地質・化石・生物などの標本まであり、大変に充実している。もちろん目玉は百丁近くに及ぶ内外の火縄銃の展示で、非常に見応えがある。必見。



 種子島はまさしくロケットの島で、随所にこういうロケット型オブジェがある。
 左上:西之表港にやってきた旅人をロケット型灯台がお出迎え。
 右上:同じく港で。空港にもあった。
 左下:宇宙ケ丘公園。アーチの絵がHOPEになっているが、さてそれが飛ぶ日は来るのか。
 右下:島の南部の橋の欄干。これ、狙ったデザインだよなあ。N−1か。近くにはスペースシャトルの絵が描かれた体育館もあり。




 さて、次はまじめ編。



 TNSC(種子島スペースセンター)内の、ロケットの丘展望台から。距離1.5Km。
 白メッシュの建物は中型ロケット発射棟、隠れて奥にVAB(大型ロケット組立棟)、やや右に低く液体酸素タンクと液体窒素タンク、中央右に、LP2(第2射点)紅白の避雷塔2本、さらに右に同じくLP1(第1射点)の避雷塔と発射塔。H−IIAは発射塔なしでも打ち上げ可能。



 8月29日午前2時45分、初めて人々の前に姿を現したH−IIA初号機。クランク路を曲がって移送されているので、ややこちらに背を向けている。


 プレスセンター竹崎観望台の屋上にあるひな壇。


このように人が並ぶ。打ち上げ十分前、赤ヘルは取材陣、他は職員。遠景の射点まで3Km。 


 打ち上げ。


 ロケットを移送するドーリー。ディーゼル14軸56輪、全輪駆動/旋回。側面全長と前部バンパーには接触スイッチがあり、万が一の時など緊急停止が可能。
 常に二両セットであり、コンピューター制御でシンクロ移動する。ロケットを乗せた時の速度は時速二Km。
 正式名称は「ドーリー」のようだが、「ローリー」という説もある。


 同後景。


 最後に、「ケムレス」。
 これが何かというと、射点から500メートルのところにある、ブロックハウス(発射管制室)の玄関ド真ん中に積まれていた、緊急用酸素マスク。10分間有効なので、もし息ができないような事態になったら、これを使って地下脱出通路を逃げるのである。くわばらくわばら。



 以上、アルバム編。
 種子島は離島の例に漏れず、地域振興のために努力をしているところで、そこに食いこんだロケットとの関わりに複雑なものを感じることもあるが、観光のネタはロケットだけではない。伝来の火縄銃をすぐに複製できたのも、古くから鉄を産した歴史があったからである。
 言うまでもなく自然は豊か。海もきれいだし、海水浴に行くのもおすすめ。木村心美ちゃんが作られたところでもあるし。


 南部の美しい干潟。

 
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