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Rep.4 海上自衛隊 観艦式潜入記
西暦2000年10月25日



 以前遊水池で「自衛隊の友達から招待されて護衛艦に乗った。そこで対潜ヘリを見た」と書いたことがあった。ホラだったが。
 今回も嘘だと思われると困る。確かに前回のはでっちあげで、添付した写真もプラモを使ったチャチなフェイクだったが、今回のは正真正銘の本物、まごうかたなき三千トンの鉄の塊である。
 乗ったのは護衛艦「まつゆき」。なんで私のようなこっぱ作家を思い出してくださったのかわからないが、宇宙作家クラブの林譲治氏からチケットをいただけることになったのだ。銃だの砲だの書いてるわりに実物を拝んだ事のない身としては、ぜひ見物にいかねばならない。だからはるばる横浜まで遠征してきた。
 以下にそのてんまつをご紹介するとしよう。

 そう言っていいのかどうかわからないが――というか多分いけないのだろうが、護衛艦といえば軍艦である。普通、軍艦に民間人は乗れない。
 乗れたのは、観艦式という行事があったせいである。陸上自衛隊の火力演習に相当するイベントで、本番は、艦艇63隻が参加して10月29日にあり、政府のえらい人間が艦隊をながめて悦に入ったらしい。
(余談。10月31日、新聞のニュースページには数行の記事が出ていたが、首相官邸と海自のHPには速報も載っていなかった。自衛隊の話題に触れたくないのか、単に更新が遅いのか。どっちにしろやる気のないことだ)
 民間人が乗れるのは、本番に先立つ25日の事前演習というもの。何しろ3年ぶりの観艦式ということで、大変な人出であった。

 朝8時が集合時刻なので、前日3時間寝ただけで、夜の1時から高速を飛ばして横浜へ。免許のある友人ひとりと交替で運転したのだが、この道中がまた大変な強行軍で、そもそも東名は全線で大規模な集中工事の最中、帰りなど睡魔と疲労の攻勢が激しく、箱根の山中で視程5メートルの霧に巻かれて道を間違えたり、1時間おきに30分眠ってよたよた走ったりとものすごかったのだが、それはまあ横へ置く。
 朝7時すぎ、あと少しというところで渋滞に巻き込まれ、やむを得ず車を降りて電車で目的地へ。遅刻しやしないかと思ったが、瑞穂埠頭のすぐ手前のJR東神奈川駅で降りると、なんだか妙に人が多い。駅前に立っていた礼装の自衛官に誘導されてシャトルバス乗り場に行くと、まあいるわいるわ、千人単位の参加者の山。一見してわかる船好きやミリタリーマニアよりも、ぶどう狩りにでも出かけるようないでたちの中高年の人が多い。これほど大規模で、一般的な催しだとは思わなかった。
 バスに乗って埠頭へと運ばれていくと、おお、見えた見えた。倉庫のむこうに、ぐるぐる回るレーダーアンテナを備えたグレーの鉄塔群、護衛艦のマストである。

 朝8時すぎに出航して夕方5時に帰港という長丁場なのに、艦内で食事を出さないと言うので、防衛弘済会とやらが埠頭にテント店を出して、軽食を売っていた。しかしこれがカップラーメンとか菓子パンとかの愛想のない代物。軍隊だからしょうがないが、どうも全般的に客扱いが乱暴で、乗りこんだあとの客の主な滞在場所も、後甲板のヘリポートにパイプ椅子を置いただけの不思議な空間。その周りに毛布を借りて寝転んだりするのだ。
 粗衣粗食オッケーの私のような無頼はともかく、年寄りの一般客にはつらそうな歓迎状況だった。

 買いものをしたりトイレに行ったり、ばたばたしながら船に乗りこむと、さして待たせもせずに出航。それに合わせて、隣に接岸していた艦の甲板で陸自の音楽隊が一曲派手に始めた。意外というかあたりまえというか、曲は軍艦マーチ。まーもるっもせめるもくーろがっねっのー、と威勢のいい曲に合わせて艦は埠頭を離れた。
 さあ、これから3時間かけて、相模湾の演習海域に向かうのである。
 到着まではさしてやることもない。この間に私は艦内を縦横に駆けずりまわって未知の世界を探った。

 まず、私が乗った艦の仕様である。  名称はDD130「まつゆき」。「はつゆき」型汎用護衛艦の9番艦で、昭和61年3月に就航し、呉を母港とする第4護衛艦隊第8護衛隊に所属する。排水量は3050トンで、軍艦の分類だと駆逐艦クラスだが、護衛艦の中では2番目ぐらいに大きいカテゴリーになる。ミサイルが大砲にとって代わってから、軍艦の強さは大きさとあまり関係なくなった。
 全長130メートル、全幅13.6メートル、最大速力30ノット(56Km/h)。客を乗せた巡航時は12ノットで走っていた。機関はジェット機と同じガスタービンエンジンで、出力は2軸5万馬力、戦艦大和の3分の1。7万3千トンの大和の20分の1の排水量にこの出力だから、いかに速いかわかる。
 乗員は200名で、お値段は300億円ほど。
 電子装備については、対空・対水上レーダーと、ECM(電子妨害)装置と、ソナーを備えていることがわかっている。が、私もそっち方面はちょっと見落としたし、詳しい説明もなかった。武器の価値なんて言ってみれば、威力よりも当たるかどうかが問題なのだが、その辺の能力を左右する電子装備について調べ忘れたのは不覚だった。

 対照的に兵器については、これでもかといわんばかりに詳しい説明があった。

「まつゆき」の同型艦「やまゆき」。今回、自分が乗ってる船を撮り忘れました。ちっ

 まず、戦艦の主砲に相当する対艦兵器として、ハープーン対艦ミサイルが8基。これは艦の中ほどの左右両舷に、斜め上を向いて固定。
 次に、対空兵器としてシースパロー・ミサイルが8連装1基。艦の一番後ろに、回転するコンテナ形式で装備。
 対潜兵器として、アスロック・ロケットが8連装1基。前甲板にやはりコンテナ形式で装備。これが、軽自動車ぐらいある図体のくせして、意外に高速でくるくる回るのにびっくり。
 同じく対潜兵器として、Mk44短魚雷発射管が3連装2基。左右両舷の通路に無造作に設置。
 近接防空兵器として、CIWS20ミリファランクス・バルカンが2基。艦橋両横に装備。形は腹の下に6本の砲身を抱えたR2−D2。うわミサイル飛んでくるやばいという時に、白い頭の中のレーダーがそれをとらえて自動的に追尾、毎分3000発の弾幕で叩き落すのだ。こいつの実演が一番見たかったが、やってくれなかった。
 さらに、航海中は積んでいなかったが、後甲板ヘリポートにSH−60J型対潜ヘリコプター1機。これはソナーで潜水艦を追っかけて魚雷を落っことす。
 最後は、前甲板上に76ミリ単装速射砲。これも旋回が速く、第2次大戦中の戦車砲ぐらいの弾丸で、12.5キロ先の敵をぶっ飛ばす。
 ただ、この武器の位置付けはちょっとよくわからない。相手が軍艦ならミサイルでやってしまうだろうし、民間船なら20ミリの機銃でも十分脅しになる。はたして何をぶっ飛ばすものか。軍艦に大砲が一門も積んでいないのは寂しい、という飾りかもしれない。
 というような具合に、対艦対潜対空対なにか、ありとあらゆる敵に対抗できるという触れこみの、武器のデパートのような艦が、DD130「まつゆき」型である。

 さて、カタログデータの紹介はこの辺まで。
 どっちかというと私は、そういう派手なしかけよりも地味な装備のほうに興味があった。「これが護衛艦だ!」というような写真集があったとしたら、まず載らないようなどうでもいい情報を集めて回ったのである。
 個々につながりのない断片情報ばかりなので、点描風に紹介するが……ちょっと今回は失敗だった。まず第一に、明るさが足りないことを忘れて適当に写真を撮ったので、シャッタースピードが遅くてピンボケばかり。そして、はっきり撮れたものも、絵が撮れただけで満足して機能を満足に理解していなかった。その辺の乗組員に聞けばよかったのだが。
 ま、とにかくごらんあれ。



いきなりお風呂。ステンレスの浴槽と、左側の壁にシャワーが数基。無理して5人、というキャパシティーだが、そこは軍隊だから、いっぺんに20人ぐらい入ってしまうんじゃないかと思われる。
 写真はないが、トイレも面白かった。
 まず、小便器の水洗は真鍮のハンドル。水を無駄なく使えということだろうか。
 ハンドルに下がった札に、雑俳2句。いわく、
「急ぐとも 床に漏らすな 松茸の露」
「発射時は 一歩前に出て 捧げ銃」わはは。
 注意書きがぶらさがっていて、「艦内循環中。循環時サンポール禁止」、その裏は「艦外排出中」。つまり、開口部を閉じきって密閉状態で航海することがあるということだ。その最中に艦内に塩素が回るといけないから、こういう注意書きがあるのだろう。
 大便器の方も工夫があって、四角い個室の対角線の向きに便器が設置されている。狭いスペースを有効に使う知恵か。



 艦内通路。床はリノリウム。パイプが縦横に走りまわり、区画ごとに防水ハッチがあって、バリアフリーもへったくれもない。



 ちょっとピンボケだが、シャワー。後甲板からハッチ一枚入った通路の天井にある。潮風を浴びたらここで落として中に入れ、というのどかなものではない。ABC除染用、つまり核・生物・化学兵器による攻撃を受けた甲板員が、船内に汚れを持ち込まないように洗うためのものである。ううん、軍艦。



 兵員食堂の本棚。蔵書は、荒巻義雄、谷甲州、鳴海章、志茂田景樹など、えもいわれぬ説得力に満ちたラインナップ。富士見ファンタジア文庫まであった。



 艦首見張り台。残念ながらトラロープで封鎖されていて、「タイタニック」をやることはかなわず。どっちみち相手がいなかったけど。



 一応兵器も。天を仰ぐ20ミリバルカン。上の白いR2−D2の中に、レーダーが入っている。



 機関室で、ちょっと機関員が離れた隙にエンジン出力レバーをゲット。この2本が5万馬力のスロットル。
 船の操縦は車とは違う。舵は艦橋で直接操るが、エンジン出力は機関室で操作するのである。これはよっぽど新しいコンピューター制御の船でない限り、たいていそう。
 具体的に言うと、艦橋でキャプテンが「マーク三戦速、三戦速」と命令を出すと、テレグラフ(速度指示器)に取りついた士官がダイヤルを回し、それが機関室の計器に伝わる。機関員はそこでレバーを操作して出力を変えるのである。
「まつゆき」の速度指示は、次のような段階にわかれていた。
・前進 最微速→微速→半速→原速(これが巡航)→強速→一戦速→二戦速→三戦速→四戦速→最大戦速→一杯
・停止
・後進 最微速→微速→半速→原速→一杯
 最大戦速の上に「一杯」があるというのは初めて知った。



 で、これが艦橋のほうのテレグラフ。失礼、艦橋で撮った写真はほとんどピンボケだった。とほほ。



 話は変わって、艦橋の上の射撃指揮所にあったアンテナ。NTTドコモのロゴがある。ちょっと確信がないが、携帯‐衛星の中継用か?
 実は艦内には、なんとテレカが使える普通の緑電話もあった。しかもそのわきに、直通の電話番号まで書いてあったのだ。私はなんの気なしにそれを写真に撮ったのだが、あとからすーっと士官の人が寄ってきて、いんぎんに言われた。艦内の電話番号はちょっと公開されては困る、写真を撮ったのなら消してくれないか、と。
 その前から、私は艦橋で、普通の人が興味を持たないような、装備のプレートだの電話の受話器だのの写真を撮りまくっていて、別の士官に注意されていたのだ。艦内の写真撮影は原則許可しているが、それはあくまで観艦式に付随して海自の素晴らしさを知ってもらうためであって、むやみと情報を漏らすためではない、自粛してもらえないかという具合に。
 私がSF作家だと名乗って、作品の参考にするだけで怪しい目的には共しない、と答えても、じっと突っ立ったままにこりともしない。それまで意識していなかったが、唐突にそこで、相手が軍人であることに気付いて、私はひやりとした。
 艦橋の件は結局、それ以降の妙な撮影を慎むということで見逃してもらえたが、電話番号の画像については、士官の見ている前で消すことになった。
 ま、電話番号なんか公開したら、作戦行動中にいたずら電話などかかってきて大変だろうから、消されるのも仕方ないが、それにしても望遠鏡や電話機のプレートまで秘密にする必要はないと思うのだが。それが軍隊というものか。
 ちょっと怖い体験だった。

 さて、いろいろと妙なところに鼻を突っ込んでかぎまわっているうちに、艦隊は相模湾へと到着した。
 観艦式に参加する艦艇は、観閲部隊と受閲部隊にわかれている。私が乗ったのは観閲部隊のおまけである観閲付属部隊の船団。
 観閲部隊が二列に並んで進んで行き、その間を受閲部隊が一列で逆行してくる。この間、前にも軍艦、後ろにも軍艦、通り過ぎるのも軍艦軍艦軍艦で、ちょっとした壮観である。日本にこんなにたくさんの軍艦があったのかと驚くことしきり。
 まず受閲部隊の旗艦「たちかぜ」が通り過ぎる。続いて第1群から第7群まで、33隻もの護衛艦がずらーーっと通過していくのだが、いちいち艦名を挙げるのも面倒だからはしょって説明する。(29日の本番のデータを見ているので、数は合わないかも)
 旗艦から第3群までは、大きさ違いのいろいろな戦闘艦が14隻。
 第4群は潜水艦5隻。
 第5群はちょっと小さい戦闘艦6隻。
 小川的に一番燃えだったのが、第6群と7群の8隻。海洋観測艦「ふたみ」、補給艦「ときわ」、輸送艦「おおすみ」、砕氷艦「しらせ」、それに海上保安庁の巡視船「やしま」など、いかにも軍事マニア受けしなさそうな縁の下の力持ち的な船がずらずらとやってくる。でも、戦闘艦がどれもこれも似たような形をしているのに比べて、なんとユニークな船たちであることか。
 相手を壊すか、さもなければ自身が壊されるしか芸のない戦闘艦に比べて、これらの艦は実に豊かで実りのある人生を送ることだろう。マイナー艦たちに栄光あれ!
そのひらべったい全通甲板から、空母じゃないかとあらぬ疑いをかけられた「おおすみ」型輸送艦



 ひととおり行進が終わると、次は展示訓練である。
 まず、飛行機がたくさん飛んでくる。周辺には最初から4機の対潜ヘリが飛びまわっているのだが、今度は艦列の後ろから編隊を組んだ航空機が次々とやってくる。
 最初に対潜ヘリSH−60JがV字編隊でフライパス。次いで救難機US−1A、対潜哨戒機P−3C、戦闘機F‐15などが次々と通過する。本番ではもっとたくさん来たらしいが、今回はこれだけ。
 それからいよいよ、護衛艦の発砲展示が始まる。これが目的で来た人も多かったろう。
 まず、76ミリ砲の空砲を撃ちながら展示艦が通過。10センチにも満たない口径の砲なのに、ドン、ドン、と腹に響く音が轟き、白い煙が出る。が、これにはたいして驚かない。こんなもんかという感じ。
 すごかったのは次のボフォース対潜ロケットの発射。展示艦の甲板ににごった黄土色の煙が広がると、少し遅れて轟音が。砲の爆音とは明らかに違う、「バガアッ!」という連続音で、いかにも燃焼室内で推進剤が爆燃しまくっています、という響き。時間は一秒ほどと短いが、500メートル先の発射だったのに、衝撃波が顔を叩くのがはっきりわかった。
 おそらく宇宙ロケットの打ち上げではこれが数百秒も続くのだろう。いい予行練習になった。
 発射された対潜弾は、1キロ先で着水・沈降・破裂して、ズバッと海面を盛りあがらせるのだが、遠過ぎてこちらはよく見えなかった。光学望遠のある観測機材がほしい。


 続いて潜水艦のドルフィン運動。はためには、潜水艦がゆっくり浮いたり沈んだりする、のんびりした光景であるように思える。
 が、よく見ていると艦首は30度ぐらいの角度で持ちあがったり持ち下がったりしている。考えてみれば艦内のすべての床があんな風に傾斜しているわけだから、乗組員は大変だろう。艦長も三等兵もひとしく、その辺のとってかなんかにつかまって落っこちまいと努力しているに違いない。なんだか涙ぐましい努力だ。隠密の艦隊である潜水艦は、一事が万事そうなんだろう。

 それから、水中翼を装備した高速ミサイル艇の運動会や、ホバークラフト(エアークッション艇と称していた)の突進などがあり、最後はP−3Cによる爆雷投下でシメになった。
 個人的には、シメの前の救難飛行艇US−1Aの着水シーンが印象に残った。何しろこの飛行機は、ものすごく遅く飛ぶことができるのである。時速30キロぐらいで進んでいる艦の後方からやってきて、そばに着水しようとするのだが、いつまでたっても横に並ばない。時速百数十キロとのことだが、自転車ぐらいの速度に思える。まだかまだかと待っていると、ようやく腹を水面につけて、ざーっと数秒滑走しただけで、すぐ止まる――というような一番いいシーンは、ちょうど隣の艦の陰になって見逃した。
 くそ、ならば離水の時だけでも写真に、と思って待っていると、再びプロペラの響きが。よし、早く陰から出てこいとじりじりしていると、出てきたときにはもう飛びあがっているのである。滑走距離はほんの300メートルほどだ。まるでプラスチックのおもちゃのような、アホらしいほどのSTOL性能。これが、大戦中の二式大艇以来、日本が世界に誇る飛行艇技術の粋を集めたUS−1Aの一幕だった。
ああっ、隠れる!


 さて、なんだかんだの観艦式もようやく終わって、帰港の時間になった。
 三浦半島を回って横浜まで帰る間、動きまわる体力もいいかげん尽きた私は、ずっと艦橋に詰めっぱなしでいた。おかげで、船の航行について少しばかりの知見を得ることができた。
 東京湾の入り口は世界有数の混雑海域で、ひっきりなしに船が通る。そこを何十隻も船団を組んだ護衛艦が通ろうというのだから、通信や指令が間断なく飛び交って艦橋はまことににぎやかだった。

「右舷40度、距離20、高速艇反航」(みぎげん、と発音する。距離は×百メートル)
「高速艇反航」(復唱。誰かがやるのだが、誰がどういう資格でやるのかよくわからない)
「艦橋変針まで1分!」(航海士が海図に張り付きっぱなしで報告)
「護衛艦はまゆきより第二大平丸、進路を知らせてください」(女の声。女性オペレーターもいるらしい)
「コチラシルバースター、トウキョウマーチス、オウトウネガイマス」(あからさまに外国人)
「シルバースター、チャンネル16」
「前方タンカー、射撃計算始め」
「了解、前方タンカーを目標ヤンキーとします」(なんか攻撃要員がいて、そこらへんの船を仮想敵に見たてて射撃計算の練習をする)
「艦橋変針、352度!」
「352度! 左舷290度、距離35に貨物船」(常に二、三人が双眼鏡をのぞいている。さらにブリッジ両横の張り出しにも望遠鏡要員がいて、気づいたことをかたっぱしから言う)
「マーク半速、半速」
「マークはんそーく!」
「マーク半速表示しました」(マークとはマスト横に吊り下げた魚のびくのような標識で、これを上げ下げして他船に自艦の状態を伝える)
「舵戻せー」
「もーどーせー」(またこれが独特の発音で楽しい)

 ああ、わけがわからない。とにかくいろいろな人がいろいろなことを言っていたので、素人見には誰が誰に向けて言っているのか、どれがなんに対する返事なのか、まったくちんぷんかんぷんだった。上の文も半分ぐらいいいかげんである。が、雰囲気はこんな感じ。
 思ったよりも人力なので驚いた。民間の超近代化船などでは、万トンクラスのタンカーで乗員十数人、とかいう船もあるらしいが、そんな船は一体どうやってこういう海域を抜けるのだろう。不思議だ。
 今回同情したのは、このくそややこしい航海指揮を、やかましくてうっとうしい見物客(おれだおれ)が何人も艦橋にいる中で、やっていたことである。多分、張り倒したい気持ちだったんじゃないだろうか。
「舵戻せー」「もーどーせー」


 大騒ぎの入港を終えて、岸壁へ。奇しくも横浜港瑞穂埠頭は、夏に紹介した、日本SF大会・ゼロコン会場の目の前である。インターコンチの半月を眺めながら、接岸作業。
 タグボートがやってきて船体を押す。岸壁は長さに限りがあるので、今回はまず1隻が接岸し、その外にさらに1隻がくっついて、船を渡って陸に下りるという手順を踏む。「もぐりん」から「でいご」を介して「うるま」に乗り移ったのと似たような作業である。
 面白かったのは、艦と艦をくっつける作業。アタッチメントの接続機器があるわけではないから、ここは海の男の基本技能、ロープワークの出番である。
 距離30メートルぐらいになると、乗組員がかごを持って甲板に立つ。かごにはひものついたソフトボールが入っていて、これをぶんぶん回して投げるのである。
 相手艦の甲板にも乗組員がわらわらいて、これを受け取るが早いかするすると巻き取って行く。こちらでは細いひもを指ぐらいのロープに結ぶ。相手はひもを回収して引き続きロープを引っ張る。こちらではロープをさらに太い、腕ぐらいのロープに結ぶ。しまいに、その太いロープが両艦の間に渡されると、これをウインチにかけて、ぎりぎりとひっぱって接触するのである。
 ロープの取りまわしや結び方が、いかにも手慣れた様子で、見ていて愉快だった。
「へやっ!」



 以上、2000年度観艦式潜入記である。
 今回は空がどんより曇っていて時折小雨もぱらついたが、海がベタ凪ぎでまったく揺れなかったので助かった。でなかったら、空腹・疲労・睡眠不足の三拍子を完備していた我々はぶっ倒れていただろう。
 今回わかったのは、やはり艦橋が一番面白いということ。これは一度、数日間ぶっ続けで船に乗って、航海の様子をあますところなく見たいものである。
 でも、その時は民間船がいいな。どうせなら船全体が完全に機能しているところを見たいけど、護衛艦が完全に機能しているような場面はご免だから。
(西暦2000年11月1日記)


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