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Rep.3-2 観光潜水艦「もぐりん」搭乗記 後編
西暦2000年9月28日

コックピット。1度でいいから操縦してみたい……


 さて、いよいよもぐりんの秘密をあばく時が来た。操縦室を覗き見るのだ。
 今航のキャプテンは知念さんという方である。背もたれのないクッションだけの操縦席で、外に膨らんだ窓からじっと前方を見ている。ちなみにこの窓はしんかい6500と同じ材質で厚さは9センチ、値段は500万円。客室のものは一枚300万円である。
 知念さんはほとんど体を動かさず、スティックを抱えこむようにして操縦している。ときおり左手でスロットル操作をする。ペダルはないが、飛行機と同じ構成であるところが面白い。ただし、スティックの動きと機動の対応は航空機と違う。
 スティック前後は、船体の下降と上昇。鼻上げ・鼻下げでないところに注意。もぐりんには後部の安定板はあるが、「舵」というものはない。船体中央の左右を、上下にスラスターの穴が貫いていて、それで深度調節をするのだ。
 同様に、スティック左右は、左旋回、右旋回。「回頭」ではない。前と後ろの2ヶ所に横向きのスラスターがあり、これを前後逆に動かして、コマのように回るのである。超信地旋回(?)が可能なのだ。スティックの基台についたレバーで、頭だけ左右に振ったり、尻だけ左右に振ったり、さらに真横にスライドすることも可能である。  その代わりピッチコントロールの機構は存在しない。ここも愉快である。客を乗せて遊覧航行するのに、急上昇や急降下は必要ないという考えだ。しかしやってできないことはない。前部と後部のバラストタンクを高圧空気でブローすることで、傾くこともできるにはできる。やらないが。
 傾くためには使わないが、潜行・浮上はこのブローで行う。モーターのスラスターを使うより経済的なんだそうである。
 前後進は簡単。左手のスロットルを前後に動かして、後部のメインスクリューを制御する方式。足を踏み入れられなかったのでよく見えなかったが、「前進微速」「後進微速」と書いてあったから、ここだけは飛行機ではなく船の雰囲気である。V-maxゾーンやブーストはない。

 左右の壁は計器盤だが、私にもだいたい分かった程度だからシンプルなものだ。
 左のパネルは、電装系とソナーの計器。ソナーつまり超音波探査器は、上方・前方用と、下方用の二つがあるが、直下の水深を測るとき以外はあまり使わないそうである。地震計のように記録が紙に残る形になっていたのは、フライトレコーダーのようなものか?

 右に無線機、超音波電話、傾斜計、ジャイロコンパス、バラスト操作器、それに二つの非常スイッチ。
 無線機はVHFの157MHzだが、水中では波長の短い電波は使えない。そこで尻から丸いブイを海面まで上げっぱなしにして、アンテナにしているそうである。浅い海を航行する民間船ならでは。
 問題は二つの非常スイッチである。別に赤くもなかったし叩き割るカバーもなかったので、危うく見過ごすところだった。ひとつはドロップウェイト投棄スイッチ、もうひとつは遭難ブイ切り離しスイッチである。万が一浮上できなくなった時に、船底の重りを捨てるためと、船の背中から浮きを放出して海面までロープを伸ばすためのスイッチである。このロープを「でいご」がつかんで釣り上げるのだ。そのためにブイの位置は甲板中央の重心点にある。こいつはソ連の原潜「クルスク」も装備していたが、あちらは機密保持のために溶接していて使い物にならなかった。もぐりんではそんな心配はない。
 それを見たとたん、クラークのSF「渇きの海」を思い出してしまった。月面の砂漠で地下に埋まってしまった観光船を救助する話である。照らし合わせるに、確実にこの船はセレーネ号より多くの非常設備を用意している。場所は地球だし深さも浅いし、空気と食料も三日分あるし、いざとなったら米軍だってすぐ近所にいるから、事故があったって確実に助かるだろう。
 という前提があるので、かえってトラブルが起こらないか期待してしまった。不謹慎でごめんなさい。いや、実際に何か起きたらあかんぼも年よりもいるのだから大騒ぎになるだろうが。
 というか、もぐりんは日本初の観光潜水艦ということで、運輸省からそれはそれは厳しい検査を受けたそうである。だから事故なんか起こりっこないのだ。
 なに、事故というものは起こらないはずのところで起こるものだ? 野暮は言いっこなしということで。


左計器パネル。二つの灰色のキャビネットがソナー表示。
よく見ると海底地形と海面状態がちゃんと。



右計器パネル。わかりにくいが、知念さんのひじ右側に赤いロール計、直角右にピッチ計、その真下にジャイロコンパス。画像右ライトボタンが各バラストタンク操作盤。シンプル。


 ひととおりコックピットを見たあと、後ろの機関室へと案内される。そういう部屋が狭いがちゃんとあるのだ。
 ドアを開けて入ると、意外にうるさく、暑い。設備は、計器盤と電源パネル、モーターと発電機、それにCO2キャニスターである。
 発電機? と思われるだろうが、交流の発電機があるのだ。それを動かすのはやっぱり電気で、客席の下の鉛蓄電池から供給される直流。これを220ボルトの交流に直すために、わざわざ発電機を回しているのだ。機関士の方に理由を聞いたら、やっぱり交流のほうが扱いやすいからじゃないか、という返事だった。うなずいたものの、電気の詳しい話はわからない。いかん、勉強不足だ。こんな周りが塩水ばかりの環境で電気を使うのが難しいということはわかるが。(あとで聞きなおしたら、直流モーターは今ではほとんど使われていないので、メンテナンスが大変だからだそうである)
 それで詳しい数字も聞けなかったが、給電能力はまる1日分。1回40分の航海を一日7回、夏場は9回こなす間、飲まず食わずで動くそうである。これはたいしたものだ。仕事が終わると「でいご」に引かれて港へ戻り、メンテナンスと充電をするそうである。もちろん、非常電源も備えている。
 計器盤には、コックピットで見たのと同じ、二つの非常スイッチがあった。どちらからでも操作できる、冗長構成になっているのだ。
 緊急時の操作はこう。まず圧縮空気でバラストタンクの全ブローを行う。それがだめなら船長がウェイト投棄のスイッチを入れ、爆発ボルトでおもりを捨てる。それがだめなら機関室から同じ操作をする。それもだめなら油圧でおもりを捨てる。それも駄目だった場合、遭難ブイを放出するのだ。これだけ対策があると、いかにも頼もしいではないか。

 機関室の目玉は、なんと言ってもCO2キャニスターだ。来る前から、非常設備とともに、それが一番気になっていた。つまり、空気の浄化手段。
 機関室のテーブルの下にある4つの金属バケツ。中には猫トイレのような白い砂が一杯に詰まっている。ふたはなく、下はじょうごで循環装置につながっている。それが、もぐりんの空気清浄器だった。
 中の猫トイレがみそで、これが二酸化炭素を化学的に吸収するのである。ソフノライム(Sofnolime、ソーダライムの商標らしい)という名前で、はるばるイギリスから買いつけているそうだ。劣化するにつれ色がつき、私が見たときは上部が薄い紫になっていた。20Kg入り4万円の缶を一度に3缶使うのだが、夏場など1日9回の航行がある時は、3日で交換しなければいけないという。けっこうな手間である。
 密閉空間では酸欠よりも二酸化炭素のナルコーシスのほうが怖いそうなので、潜行時間が短いからといってそこをおろそかにしていないもぐりんは、やはり気配りが行き届いていると言えよう。


上の二つが非常スイッチ。ふたはすぐ開くが、滅多なことで触ってはいけない。


CO2キャニスター。猫トイレそっくり。


丸いのが通信用曳航ブイ。ケーブルは50メートルまで。

 機関室を堪能してから、席に戻る。40分の潜行時間ははや終わりに近い。砂地に着底して見物していた魚ショーも済んで、浮上に移る。
 キャプテンの知念さんが、バラストタンクのスイッチに手を伸ばす。「沈黙の艦隊」ばりにあれを叫びたいところだ。メインバラストタンク・ブロー!
 ところが、知念さんはスイッチを軽くひねっただけ。前部タンクをシューッ、後部タンクをシューッ。ものの二秒。ありゃ、そんなあっさり。もともと水と同じ重さになっていたのだから、その程度でいいのだろう。いっぺん全力浮上を味わってみたいが。
 電光表示板の数字がゆっくりと減っていく。今度はちゃんと浮上速度を測ったが、秒速30センチというところだった。
 やがて頭上に海面がきらめき始め、つかの間の海中探検は終わった。

「でいご」に上がると、使わなかった前部ハッチに「でいご」からの送気ホースがつながれて、空気の入れ替えが始まった。それを横目に、改めてもぐりんの白い船体を見下ろす。
 水上に現れている部分は、潜水艦のイメージそのままのなめらかな鯨型である。しかしこれはFRP製で強度はないし、造波抵抗を減らすもなにも、下にぶらさがった円筒形の客室が身も蓋もない抵抗になることが想像できるから、おそらくは見てくれをよくするただの飾りだろう。ダミーのセイルなんかつけてそれらしく見せてはいるが、スケールのわりに甲板の手すりが大き過ぎて、あまりカッコよくはない。
 乗って楽しかったかといえば、はっきり言って拍子抜けである。さくっと始まってさくっと終わってしまった。しかしこれは目的が違うんだからしょうがない。もぐりんは観光船である。観光船で観光せずに潜水艦のシステムばっかり見ていたのだから、これは楽しいわけがない。一緒に乗った家族は楽しかったと言っている。何より、建造から12年も立つのに、今でも毎日満席だという盛況ぶりが、もぐりんの楽しさを証明している。私が乗って楽しいような遊覧船があるとしたら、それは窓もガイドさんもなく、毎回どこかに故障を起こして酸素マスクだの救命胴衣だのをつけられ、みんなで知恵を出し合って生き延びる方策を考えるよう迫られ、下手をしたらずぶぬれでダイバーに救助されるような乗り物だろう。万人が乗る潜水艦がそんなことでは困る。だから、これはこれでいいのだ。


セイル部分。この裏に後部ハッチがある。
ミツビシマークの上にカメラ、側面に車検シールそっくりの船検シール。


 ではためになったかと聞かれれば、それはもう。深く静かに潜行する潜水艦のあれこれについて、大変な勉強になった。勉強させるために運航してるんじゃないと会社のツッコミが入るといけないので、また宣伝。
 皆さん、那覇と名護の間を通るようなことがあったら、ぜひ乗船されたし。ここら辺の観光スポットといえば、ガラス工芸の体験だとか沖縄料理のレストランだとかばかりで、そんなものは那覇でも本土でも体験できる。海水浴がしたければ、もぐりんに乗ったあとホテルのビーチでばちゃばちゃやればいい。
 ただし、条件はある。乗船時に最後の一人になって、恋人の目の前で体重制限ではねられるかもしれないし、首尾よくそれを通っても、ハッチに腹が引っかかってくまのプーさんになるかもしれない。
 ダイエットだけはして行くように。
(2000.9.30記)


(ご協力いただいた日本海中観光様にお礼申し上げます。また、本文執筆には、杉崎行恭氏の雑誌記事を参考にさせていただきました)



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