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 Rep.2 パラグライダー試乗 西暦1999年10月14日 (2000年3月25日 記)


 これまで空を飛んだことは、11回ある。
 昔の家族旅行で4回。台湾への往復と現地の移動で、機種は忘れたがプロペラとジェット。大学時代のオーストラリア行で6回。カンタスのジャンボと双発ジェット、それに遊覧ヘリ。あと1回が、パラグライダーだ。
 ふむ、二桁になっているとは思わなかった。当節は中学生でも欧州へ修学旅行に行くそうだから、まあ許される範囲だろう。許す許さないというのは、ジェット機は成層圏に排気ガスをばらまく乗り物だから悪だ、という論拠からではない。環境問題をどうこう言う資格のある人間は、消費大国日本にはほとんどいないはずである。そうではなくて、青二才の分際で高い金を使って飛行機に乗るのが後ろめたいからである。
 空を飛ぶには金がかかる。1903年にキティホークで変わり者の兄弟が動力飛行機を実証して以来、もう百年近くたっているのに、まだわれわれ人間は散歩気分でそこらを飛べない。かえってやりにくくなっている。技術の使いどころがおかしい。多いに文句がある。
 で、日本人が空を飛ぼうと思ったら、一番安上がりなのはどんな手か。
 調べたところ、どうもそれはパラグライダーであるらしい。

 他人の運転でもいいなら、一万円以下の料金で空を飛ぶことは国内でもできる。だがそれでは面白くない。
 自前のヘリコプターで飛ぶための費用は、前回までのレポートで触れた。まあ、家を買うのと同じぐらいの覚悟がいる。
 固定翼機は、セスナやエアロスバルなどの軽飛行機ならヘリとたいして変わらないだろうが、何しろ滑走路がないとにっちもさっちも行かないから、お手軽とは言いにくい。
 固定翼機には、ULPというカテゴリーもある。ウルトラライトプレーン、超軽量動力機。一人かせいぜい二人乗りの、自転車に羽を生やしたような小さな飛行機で、値段も中古で100万円台からある。これはかなり理想に近い。
 しかしこれにも泣きどころはあって、今のところ日本の法律のもとでは、二点間飛行が許されていないのである。つまり、飛びあがった滑走路の周りをぐるぐる回って遊ぶだけ。いささか情けない使い道しかない。アメリカ人が見たら肩をすくめて同情してくれるだろう。
 グライダーという手もある。しかしこれは、本州ではちと無理だ。自力で離陸するにしろ、牽引してもらうにしろ、どのみち空港と広い安全空域が必要で、調べていないがやはり法規が厳しいだろう。それに最近のグライダーはセスナよりもよっぽどハイテクを使っているらしいので、万札百枚の線は切れまい。

 さらにその下に出てくるのが、パラグライダーである。
 ストレートに言うと、新品のパラグライダーが定価23万5千円である。これは第一興商という会社の製品。意外だが、あのカラオケの第一興商である。手元の98年のカタログによると、一人乗りの初心者向けがその価格で、一番高い二人乗りLサイズでも、52万円でしかない。多分、あなたが今使っているパソコン及び周辺機器と、たいして変わらないだろう。安い。
 と言われても、私だったら眉に唾をつける。うまいこと言って本体を買わせておいて、あとからオプションをすすめ保険をすすめ、維持費と修理費を巻き上げていくのが商売というものである。
 確かに、費用はこれだけではない。もろもろの装備を整え、日本ハンググライダー協会JHFのライセンスを取って一人で飛ぶためには、あと20万円ものお金がいるのである。――20万。なんという暴利だろう。それだけあれば、まる一年は毎日ラーメンを食いに行けるではないか。大金だもったいない。
 ……ボケはこのぐらいにしておく。上記の一番安いやつで何もないところから始めて、総額50万円。さあどうだ、と言いたい。これが、今のところ日本で最も安く、1人で自由に空を飛ぶために必要なお金である。

 例によって例のごとく、前置きがまた長くなった。要するに、なぜパラグライダーか、という説明をしたかったのである。答えは安いから。
 パラグライダーをしようと思ったら、スクールに入るのが普通である。たいていのスクールでは体験入学をやっている。一万円で空を飛べる、と聞いて試しに行ってきた。以下、その記録である。これは正式の取材ではないが、その辺は許してもらいたい。
 名前は仮名である。というかあだ名か。M氏やN氏と言った呼び方は、星新一ぐらいのセンスがないと、味気なくなってしまうから変えてみた。

 1999年10月14日、朝6時に起きて、家から5キロほどのところにあるパラショップへ車で向かう。電話帳で見つけて一度訪問し、体験入学の予約をしてある。荷物は軍手とバイク用のブーツだけ。
 インストラクターはムラさんという三十代中ほどの人である。福沢翁を一枚渡すと、それじゃあ池田山行こうか、と言われる。
 池田山とは、知る人ぞ知る中部地方有数のパラグライダーのメッカで、地図で見ると濃尾平野の左上をふさいでいる。標高は924メートル。ふもとは田んぼが広がっており、それを二枚ほど潰して、LD、着陸地点が作られている。
 では行きますか、とは言わず、私はびっくりした。話が違う。今日はもっと北の揖斐で、シーズンオフのスキー場斜面を使って練習するだけ、と聞いていた。それがいきなり山飛びである。山から飛ぶのである。本当なら、A級B級とランクを上げていって、その上のノービスパイロット級にならないとできないはずだ。
 今日は仲間が山飛びするから、一緒にタンデムで、という説明。二人乗りである。それなら異存はない。むしろもうけものである。ワンボックス車に乗りこみ、一路岐阜へ。

 LDで待っていた仲間の人たちを拾う。皆このためだけに半径五十キロから集まってくるような趣味人ばかりである。
 つづら折れの林道を登り、池田山山頂近くにあるTOポイントヘ。テイクオフ地点のことである。どんな業界にも略号というものはあるもので、ムラさんはそれをさらりと言いこなす慣れた感じの人だった。プロである。私のように付け焼刃だと非常にパチモンくさい。
 TOには、自殺をうながすような垂れ下がり気味の台がある。
 今回は、台は使わず、斜面から助走するだけ。台を使う基準はよくわからない。ハンググライダー専用なのかも知れない。



 ふもとまでの標高差は、約700メートル。高度を数字で言ってもピンと来ないものだから言い換える。大地が地図に見える高さである。河がのたくり雲がかかり、民のかまどはにぎわいける。いや、炊煙などはとても見えない。
 滑走ポイントから20メートルほど先まで、草の生えた斜面が落ちこんでいる。そのむこうは杉林だ。離陸してすぐに落っこちるのをスタ沈と言って、これはわりとよくあるのだが、ここでそれをやらかすと救助が大変そうである。――実は私が出たすぐ後の人がいきなりそれをやってしまい、斧で木を切って、みんなでよってたかって助け出した。木を切った場合は営林署に届けなければいけないそうである。
 そんなことになるとはつゆ知らず、私は離陸地点から下界を見ていた。
 落ちれば無論死ぬ。落ちなくても死ぬことはある。この山では昔、高圧線に引っかかって一人死んでいることを私は知っている。けれど、別に恐怖感はなかった。遊園地の乗り物に乗る気分である。ホワイトサイクロン(@名古屋ローカル)の時の方がよっぽどどきどきした。
 驚いたことに、その日は私がトップバッターだった。いいのだろうか、風など読まなくても。ド初心者なのだが。
 それを聞くと、常連が太鼓判を押してくれた。
「大丈夫、ムラさんは十年やってるから。しかも毎日」
 押した当人は五年選手だそうである。死ぬ確率は何千分の一ぐらいなんだろう。まあいい、日本人は確実に、車に轢かれて死ぬ確率を一万分の一抱えているのだ。どうせ死ぬなら新聞に載りたい。

 軍手着用。ヘルメット着用。バイク用ブーツ確認。
 それから、ハーネスを背負う。これは大型のザックであり、パラグライダーの持ち運び袋を兼ねている。尻当てと言うか、椅子がついていて、そこにパラグライダーからのヒモをつなげる。衝撃を緩衝する脊椎パッドがセットになっている。



 しかし、「脊椎パッド」である。防弾チョッキの内側につけるやつではなかったか。私をびびらせようとする何者かの意思をひしひしと感じる。
 ハーネスを、ももと腹の上の3点で、金具止めする。クリティカルな道具なので、簡単な造りなのになかなか外れない合理的なしくみになっている。
 私がそうしているうちに、後ろではムラさんがタンデム用の大型パラを展開して いる。面積は六畳間二つぐらいか。またこれが、頼りない材質なのである。触ると「ぐしゃ」ではなく「くしゃ」としわになる。キャンプ用テントの半分ぐらいしか厚みがない。広い面積で重量を分散しているから、風で破れることはないと思うが、カラスの一羽も飛んでくればどうなるかわかったものではない。

 展開が終わると、ムラさんが自分のハーネスをつけて、後ろにやってきた。見えないが、私とカラビナで連結しているのが分かる。タンデムでは、二人の間のカラビナに、ライザー(パラのヒモ)を接続するらしい。

これ、私ではありません。私は撮ってるから


 接続終了。ムラさんは気軽に、
「じゃ、行こうか」
 え。
 風待ちとかしなくていいんスか?
「無風に近いからね。初心者びよりだよ。斜面の下まで走って、合図したらハーネスに腰掛けて。止まったらダメだよ」
 指示はそれだけ。腹をくくる。
「よし、走って」
 走る。後ろからムラさんがついてくる。どふぁーっと後ろから何かが上に上がってきて、ぐんとももを持ち上げられる。足が宙を蹴る。
 あっさりと浮いてしまった。



「LD分かるよね。ブットビであそこまで行って高度処理するから。尾根沿いに行こうか。今の速度は30キロぐらいかな。バリオ渡しただろ、言ったら高度読んで」  というようなことを、もう少しとつとつとムラさんが言うが、誰も聞いていない。私がだが。
 ついさっき車で上ってきたぐねぐね道の上を、ゆっくりと体が流れて行く。
 静寂である。風切り音もほとんどない。考えてみれば当たり前で、地上の音源から何百メートルも離れている。それに機械部分がないから自発的に作動音をたてることもない。地球上で一番静かな乗り物である。
 揺れもないので、恐怖はゼロ。スキー場のリフトで釣られているような落ちついた感じ。眼下の杉林は立体である。あたりまえだが、このアングルで樹木を見ることはなかなかない。



 ただゆっくり体が滑って行く。
 お客の私は仕事がないので、カメラでそこらを撮りまくる。
「むこう見て」
 言われて顔を上げると、濃尾平野が見えた。
 天気は薄曇り。時刻は10時。寒くはない。曇りガラスのような薄白い大気を通して、ふもとの道路や民家、田んぼが見える。そのむこうに横たわる揖斐川。金華山までは見えないが、十分だ。十分過ぎる。



 尾根が尽きると、ふもとの町の上空に出る。バリオメーター(高度計)の数字は500メートル。道を車が走ってるいるが、まさにおもちゃ。車は思ったより前後に長い、カタログを見ればわかる事実だが、それもまた新鮮だ。
「右向いて、右に体重かけて」
 言われた通りにすると、視線がぐるりと右に回る。Gが弱く、旋回しているという感じはない。左もまた同じ。
 旋回と減速は、左右にぶら下がっているブレークコードというヒモで行う。つまようじぐらいの太さの細いヒモである。それ二本で、パラのエアインテイクを開閉して、揚力の調整を行う。
 パラグライダーは、てっとり早く言うと、風船でできた翼である。普通のパラシュートとは違って二重構造になっており、その間に空気を取りいれて、翼の形を作る。端をコードで引くと、翼がひねられて迎え角をなくし、揚力が落ちる。落ちるとそちらへ傾く。それが、旋回の原理である。
「じゃ、ちょっと揺らすよ」
 右、続いてすばやく左、とムラさんが機体を揺らす。今度は感じられた。なんだかでかいブランコで左右に揺られている気分。怖くはないが、続けられると酔いそうである。



 そうこうするうちに、LDが近づいてくる。
 高度は300。広場で小さいものがわらわら動いている。よくみると、小学校の子供たちだった。人間が識別できるようになると、いっそう面白い。
 不意に、大変なことに気づく。
「ムラさん、電線全然見えませんね!」
「見えないよ。鉄塔の位置を覚えておくんだよ」
 地上で見たとき、LDのすぐ先を高圧線が走っていた。LDの周りにも、電柱が立っている。上からだとそれが全然見えない。背景の地面に溶けてしまっている。
 LDは、田んぼをほんの五十メートル四方借り切った四角い広場である。目立つものは吹流しぐらい。一応隣接する電線はないが、すぐとなりの田んぼにはそれがある。うっかりしていると焼き殺される。
 ムラさんはうまいことLD上空で旋回を繰り返して、高度を殺す。隣の田んぼで 老婆がわらを焼いていて、その煙がおあつらえむきに風向を教えてくれる。南風、微風。
「風下から入るから」
 200から高度を一気に落とす。バリオの数字がぐんぐん減る。100メートル。ここまで下がると、民家の屋根がつかめそうである。老婆の頭上を通過。慣れているのか気づいてないのか、顔も上げない。日常生活を営む人の頭の上を通りすぎる。シュールな体験である。
 この土壇場で、着地の指示。と言ってもひとことだけ。
「走って!」
 ふわーっと地面が迫る。尻を上げて、走る!
 足が地に付いて、少しもつれたがそのまま走ることができた。衝撃は思ったより少ない。パラがくたくたと後ろの地面に倒れる。
「はい終わり」
 淡々とムラさんが言った。

 飛行時間11分。これは、ブットビだからである。麻雀の話ではない。余計な旋回をせずにまっすぐLDに向かう飛び方をこう言う。
 しかしこれは、後がつかえている時やライセンスのために飛行回数を稼ぐ時、または悪天候の時(そもそも悪天候で飛んではいけないのだが)使うべき手で、理想の飛び方ではない。うまい飛び方というのは、サーマルと呼ばれる熱上昇気流をつかまえて、できるだけ滞空時間を延ばす飛び方を言うのである。
 ムラさんに聞いたところ、サーマルは空中に直径数十メートルのばかでかい透明なクラゲのように存在し、ゆっくり昇っていくものだそうである。これは大地が温まると発生する。二千メートルほども昇ると、そこで水分が凝結して雲になる。中に入ると風の音が変わり、確かに温度も違うらしい。
 ベテランはこれをつかまえる。上がり過ぎて雲になりそうだと、次のを探して乗り換え、一時間以上も飛ぶ。到達高度は優に離陸地点を越える。
 ここが大事である。たぶん多くの人は、パラグライダーなんて降りてくるだけじゃないか、と思っているだろうが、この道具にはこれだけのポテンシャルが秘められているのだ。はっきり言ってヘリといい勝負である。ヘリを一時間飛ばせば扇子が作れるほどの万札がなくなるが、こっちはそれで機材が買えてしまう。
 まあお金の話はいい。
 たった11分だったが、愉快な体験だった。ここは例によって、山飛びを敢行してくださったムラさんに感謝したい。

 この後、午後に、雪が降ったらスキー場になる揖斐高原の貝月練習場まで行って、一人乗りのパラで10本ほど練習飛行をした。だがやはり山飛びとは比べるべくもない。



 パラはそれほど重くないので、装着した状態でくしゃくしゃとまるめ、トロッコに乗って斜面を登る。適当なところで降りて、ライザーがからまないよう注意深く広げ、ムラさんの指示にしたがってダッシュし、数秒間飛行して降りる。その繰り返しである。
 直進と右左折は、半日あればマスターできる。そこから極めようとすれば、おそらく長く苦しい道が待っているのかもしれないが、スカイスポーツの中ではもっともとっつきやすいものであるのは間違いない。
 私が行ったのは平日だったので、一緒にレッスンを受けたのは大学生の女の子1人だけだった。この子は結構気合が入っていて、まだ練習2度目なのに、機材をすべて注文してしまったと言う。早く自分のパラで飛びたい、と話していた。
 暖かい時期、それに夏休みや連休は混むそうである。オフシーズンの平日をお勧めする。私が山飛びさせてもらえたのはインストラクターのサービスなので、必ずできるとは限らない。その辺無理を言ってはいけない。

 さて、まとめに入る。
 これまでパラグライダー礼賛の文を書き連ねてきたわけだが、ただ安いというだけなら、ここまで持ち上げたりしない。いくら山飛びできたって、これはまだ不便な遊びだ。
 だがパラの道は、途中から別の遊びにつながっているのである。それが、モーターパラグライダーである。
 これは雑誌「ラピタ」の2000年4月号でも紹介されているが、プロペラをかついでパラグライダーをやるスポーツである。
 最大の特徴は、平地から離陸が可能なこと。そしてその遅さゆえに、グライダーほど特別なスキルが必要なく、規制も緩いことである。ライセンスについては詳しくないが、パラグライダーと同じ程度の難易度だろう。
 一式揃えて免許も取って、120万円だそうである。キャノピーという上のパラの部分は、パラグライダーから流用が可能。以前、ヘリが欲しいなあと書いたが、実はこっちが本命である。
 いずれ必ずやってやろうと思っているが、心配事もないではない。モーターパラは現在、騒音問題で肩身が狭いらしいことがひとつ。
 そして、やつらが、運輸省がどう出てくるかわからない。手元にある「数字でみる航空1999」(航空振興財団)には、平成十年度のパラ/ハング人口が九万五千人、超軽量動力機が五千人と書かれているが、このわけ方を見ればわかるように、モーターパラは連中の視界に入っていない。逆にいえば、そのうち目をつけられる、ということである。将来数が増えてくれば、何がしかの規制を受けることも考えられる。
 しかしなあ。時代は情報公開、規制緩和に向かっているのだ。私がチャレンジするまでは、できるだけそっとしておいてほしいものである。そして、現在モーターパラをやっている人は、ヘマをして言いがかりをつけられないように、できるだけ紳士的に、かつ活発に、活動を続けてほしいものだ。
 それまではひとまず、私は、お話の中で人を飛ばすことで我慢しておこう。


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