第3遊水池 天翔けるドラム缶
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天翔けるドラム缶
三菱重工飛島工場 H−IIAロケット見分記
 西暦2001年6月取材



 ドラム缶というといかにもカッコ悪い。怒る人もいるかもしれない。
 しかし私は、これをけなす気はない。むしろ感嘆したからこう書く。ハイテクの塊、日本の技術の粋を凝らした宇宙ロケットの本質は、実際ドラム缶なのである。軽く速く強く、ただ一途に宇宙を目指したがゆえに、彼は虚飾を捨てて本質をさらしている。ドラム缶であることは彼の目的と直結している。機能美の極限だ。
 世界一美しい天翔けるドラム缶、H−IIAロケットの素顔を、ここで紹介したい。

 H−IIAロケットは、今夏、種子島から一号機が打ち上げられる。私はそれを取材しに行くつもりなので、予習として打ち上げ前の機体を見学することにした。
 見学するといっても、ロケットの組み立て工場は一般人がおいそれと入れるところではない。今回は、福音館書店の仕事でメーカーの三菱重工へ取材しにいく、宇宙作家クラブの小林伸光氏の助手として行ってきた。
 場所は名古屋市の南西、飛島村にある三菱重工飛島工場である。

 べらぼうに暑い6月27日の昼、名古屋駅で合流した。顔ぶれは小林さんと編集者のTさん。私の車で一路飛島村に向かう。
 飛島工場は、木場にある。木材のストックヤードとして造成された埋立地の一画。広大な敷地であり、一番奥は水深6メートルの岸壁になっていて、製品をそのまま船積みできる。
 事務所に入り、まずは三菱の総務の方からお話をうかがう。飛島工場は組立工場である。他の工場で作られた部分品を、製品ないし半製品の形に組み上げるのが仕事だ。アッセンブリーショップと称する巨大な建屋が二棟あり、片方では種々の航空機の組立を行っている。もう片方は少し小さく、中でH−IIAとISS日本モジュールの船内実験室を作っている。そちらが今回の目的だ。
 H−IIAのことを聞くと、なんとここには、一号機から三号機まで、すでに三機の機体があるという。それは知らなかった。
 おのおの製作進行状況が違うから、はからずもいろいろな状態の機体が見られることになる。しかも一号機はつい最近、総合機能点検を終えたばかり。あとは包んで船に乗せるだけに近い状態の機体を見られるのだ。まことにいいタイミングである。

 簡単に説明を受けてから、組立課の方とともに工場へ向かった。ロケットの収まっている第2工場は岸壁の手前、三階建ての東西に長い建物である。
 中に入ると涼しい。空調が効いている。ホールでロケットの模型を見てから奥に入ったが、ドアは電子式のナンバーロックで閉鎖されている。第1工場の方はあけっぱなしの吹き抜けで暑いが、こちらは完全な密閉空間だ。セキュリティとか空気の清浄を保つためとかいろいろあるのだろう。
 だろうじゃなくって聞かないといけないのだが、入った途端圧倒されて聞きそびれた。
 でかい。見上げんばかりにでかい。オレンジ色の巨大な管状構造物がずんと横たわっている。その大きさに思わず口が空いた。
 またそれが一つにつながっていなくて、何本もごろごろ転がっているのである。組立が済んでいないからであり、一号機から三号機までが並んでいるからでもある。にしても最初に受けた印象はロケットではない。管だ。ドラム缶である。
 浅はかな私は、驚きつつも拍子抜けしたことを告白しておく。ロケットってこんな単純な作りかと。
 単純なのは確かである。だが単純さこそが美徳なのだ。ロケットが挑む極限の世界は余計な複雑さを許さない。とりわけ余計な重量に対しては堅く扉を閉じる。ロケットに外板はない。骨格もない。それらすべては軽量化のためにとっぱらわれた。とすれば残るのは円筒形の燃料タンクだけであり、それが重量を支え、液体燃料を蓄え、温度を保ち、形を作っている。ドラム缶のごとき単純さは、これら多すぎる要求を満たすための、必然にして最適なデザインなのである。
 むろん、ただ単純なだけの代物がマッハ20の極超音速を出せるわけがない。その恐るべき世界に踏み込むために、このドラム缶には究極の技術が注ぎこまれている。
 ちょっと見にはわからない。よく見ると凄い。神は細部に宿っている。


写真1 巨大なドラム缶


 ここで、そもそもH−IIAとはなんであるかを説明する必要を感じる。
 しかしそれをするには、事業団の先代ロケットであるH−IIの説明をし、H−IIが産まれるに至った経緯を説明し、それまでの事業団の歴史を説明しなければならず、そうなるともう一万行や二万行ではとうてい収まりがつかなくなるので、ここは簡単なコメントに留めて、詳細は割愛する。それらはNASDAサイトに記されているし、松浦晋也氏の「H−IIロケット上昇」(日経BP社、ただし入手困難。図書館にあたることを推奨)などを始めとする多くの本でも書かれている。
 以下、簡単なコメント。

  • H−IIAはH−IIロケットの発展型である。ただし中身はほとんど一新されていて、車で言えばフルモデルチェンジが行われている。
  • H−IIは低軌道に10トン、静止軌道にIIトンの衛星を投入できる、優秀なロケットである。H−IIAではこの性能は維持したまま、余分な安全マージンの削減と工程の簡素化による価格の低減をはかっている。
  • H−IIAは先代から機体構成を引き継いでいる。左右一個ずつの固体ロケットブースターに挟まれた二段重ねの本体。本体各段はそれぞれ液体酸素・液体水素型のエンジンを備える。
  • H−IIのメインエンジンLE−7は、スペースシャトルと同じ二段燃焼サイクルという高度な燃焼方式を採用した先進のエンジンである。だが先進ゆえに技術的に難しく、そこが開発の難所でもあった。
     H−IIAではこの発展型LE−7Aを採用。発展型とはいえ配管点数や溶接個所の大幅な削減で別物に近いものになっているが、基本構造は同じ。
  • そして、H−IIAでは増強型と称する発展計画がある。本体に、LE−7Aを二つ備えた液体ロケットブースターをくくりつけて飛ばすというもの。これを行うと軌道投入能力は二倍になる。

 大体こんなところか。
 加えると、H−IIシリーズは初の純国産ロケットである。また、両横につくSRB(固体ロケットブースター)についても話はある。
 しかし、それらは書くと長くなるし、SRBは三菱ではなく、石川島播磨重工の子会社――これはもともと日産自動車の部門だったのだが、ゴーン社長が売っぱらってしまったもの――で作っているので、今回はお目にかかれなかったので、省くことにする。

 話を戻して、細部に宿っている神の姿を順に見ていこう。



写真2、3 LE−7Aロケット
 H−IIAのキモ、LE−7Aエンジン。
 LE−7に比べて、ややスマートになっている。技術者の方の話では、邪魔な配管が減ってずいぶん作業が楽になったとの事。
 どうスマートになったのかというと、NASDAサイトのここのLE−7を参照。ノズル直径と配管部分の幅を対比してみるとわかる。
 写真3のノズル内には細い管が突き出ているが、ここから火を吹くわけではない。これは待機状態の間ほこりの侵入を防ぐものだそうである。



写真4 エンジン装着前
 こちらはエンジン装着前の様子。ロケットの底を見ているもので、二号機の写真。285トンの重量を支える頑丈なクロスビームがある。H−IIAでは、起立状態の時SRBの重量まで本体が受け持つことになっている。
 底部周囲の銀色のリングは、組立中に本体を支えるジグ。下部をローラーが受けていて、作業に応じて本体をくるくる回す。



写真5 本体下部
 左が先端、右が基部。左右に伸びるパイプは、左方向にある液体酸素タンクからエンジンまで液酸を運ぶパイプ。
 オレンジ色はPIFという発泡性の断熱材である。燃料タンクに三センチほどの厚さで塗布してあり、中の極低温の燃料が外気温にさらされるのを防ぐ。
 中央部の色が濃いところは、SRBが火薬で分離する時の炎を受ける部分。少しPIFを強くしてある。
 これで外装は終わりである。塗装はしない。すると数十キロ重くなるからだ。ざらざらごわごわしていて、なんだか段ボールを貼ったようなつぎはぎな外観だが、これも軽量化のための英知なのだ。



写真6 素材あれこれ
 中央部のカステラがPIF。持つとずいぶん軽い。スペースシャトルで採用している同じものでは、キツツキに穴をあけられたという話がある。
 右側の六角形は、アルミ合金製のタンク本体の板材。タンクスキンとある。実際はもっと細長い板で、タンクはこれを竹刀のように横に並べて作る。
 三角形の形は強度を出すためのもので、アイソグリッド構造と言う。これ、平板にトラスを張り付けたのでも、鋳造でトラスを浮き出させたのでもない。なんと全部グラインダーで彫り込んであるのだ。深さ二センチほどもである。素材の歩留まりなど構っちゃいられない執念の高強度化。



写真7 一段タンク接続部
   三号機の写真。一段ロケットの液体水素タンクを上から見る。この上に液体酸素タンクが付く。中までちゃんとPIFで覆われている。
 内周のハコは誘導系の機器。



写真8 段間部

写真9 分離ピストン

写真10 二段目
 写真8は段間部の画像である。一段目と二段目の間をつなぐ部分だ。ここには燃料は入らないので、材質は炭素繊維である。
 これは一段目ですか二段目ですかと聞くと、どっちでもない、やっぱり段間部としか言いようがないと言われた。理由がちょっとおもしろい。
 H−IIAは愛知県の飛島から種子島まで、二つに分けられて船で運ばれる。ひとつは一段目、ひとつは二段目。輸送中、この段間部コンポーネントは二段目(写真10)にくっついて、二段目のLE−5Bエンジンを覆っている。
 ところが、打ち上げ後の分離では、この段間部は一段目と一緒に落っこちてしまうのだ。だからどっちでもない。段間部としか言いようがないのである。

 写真9は分離ピストン。
 このピストンはロッドの基部にばねが付いたもので、組みあがるとロッドが押しこまれた状態になる。
 打ち上げ後、一段目の切り離しのときには、二段目最下部のぐるりを巡る成型炸薬に点火することで、段間部とのボルト締め個所が円く溶断される。その時にこのピストンが働いて、二段目との離脱を手助けするのだ。



写真11 工場内俯瞰
 最後に、上から見た機体を。
 中央が一号機で、左が二号機。内部の燃料配分がひと目でわかる。黄色い接合部の左、体積の大きい方が液体水素タンクだ。


 写真は以上。一号機はこれから組み立てられ、七月初頭にも船で種子島へ向かうそうだ。IHIエアロスペース製のSRB(正確にはSRB−A)と川崎重工製のフェアリング、それに積荷の衛星は、種子島で装着される。
 さて、これまで神が神がとずいぶん持ち上げた。その通りH−IIAは先端技術の塊だ。技術の好きな人間にとっては驚嘆すべき代物だろう。
 だがこれはドラム缶である。それは、上の写真を見ればよくわかっていただけると思う。
 こういうことを書くのはよくないかもしれない。花嫁のベールを剥いで、なんだ十人並みの顔だななどと言っているのかもしれない。発射台に堂々と立って轟音とともに天を目指すところだけを見せて、宇宙開発の象徴として光彩を放ってもらうのがいいのかもしれない。
 だが忘れてはいけない。ロケットは目的ではない、手段だ。かつて開発者の一人が言ったように、軌道上に物を持ち上げるためのトラックでしかない。トラックなんてもともと地味なものだ。
 地味なトラック並みの受け止め方をできるようになれば、そのもっと先にある宇宙開発にだって考えが及ぶんじゃないか。

 1999年11月にはH−IIロケット八号機が指令破壊された。2000年2月にはM−Vロケット四号機が軌道に上がり損ねた。――平たく言えば、両方とも失敗した。
 これをもって、やっぱりロケットはだめだと大騒ぎする人がいる。いるというか、そういう人のほうが多分多い。
 だがそんなに騒ぐのは気の早いことだ。ロケットの打ち上げはロケットの打ち上げのためにやっているのではない。その先、国際宇宙ステーションに荷物を送り、無人シャトルを飛ばし、できれば有人機を飛ばし、ひょっとしたら月まで行き、あわよくば火星やそれより遠くまで人を送るためにやっているのだ。
 たかだかロケットの一機や二機が落ちたぐらいで騒いでどうする。トラックが事故を起こしただけじゃないか。しかもそのトラックに人は乗っていないのだ。人を乗せるバスを作る前にどんどん落として、技術を蓄積するのがよろしい。
 アメリカもソ連もそうやって宇宙へ出た。1960年以来、各国がどれだけ実用ロケットを落としたかご存知か。これは「ロケット開発 失敗の条件」(中野不二男・五代富文、ベスト新書)という本の巻末に表が載っているのだが、すごい表である。米ソ欧中は、林立する数千のロケットマークの上に、これでもかとペケが並んでいる。ばんばん打ち上げてばんばん落としているのだ。
 それに比べて、表の一番上に書いてあるNASDAの実用ロケットもすごい。何がすごいと言って、まず2000年までにわずか31機しか上げていない。しかもそのうち29機は成功している。失敗したのは二段エンジンが途中で止まったH−II五号機(これだって衛星側に根性で対策を施して運用まで持っていった)と、一段エンジンが止まったので爆破したH−II八号機だけ。
 1975年のN−1ロケット以来、四半世紀落とさずにやってきた末、まずいことに二機連続でミスをしてしまったので、わあわあ叩かれているのである。今度のH−IIAでは、これが失敗したら先はない、というような思い詰めた雰囲気まで出ている。
 また作ればいいじゃないか、トラックなんだから。世界の至宝を壊したわけでもあるまいし。
 宇宙是か非かなんて騒ぐほどのことでもない。

 そこまでして宇宙へ行こうとすること自体間違いなんじゃないか?
 そう言う人にこう言い返してみる。じゃ、人間はずっと地球の上で暮らすべきなんですか?
 そうだと言う人もいるだろうし、いやもうちょっと福祉とか平和とかが片付いてから、と言う人もいるだろう。
 地球で暮らしたい人は暮らせばいいが、そのうち地球だって狭くなる。もうなっている。いつかは宇宙へ出なけりゃ。
 そのいつかはもうちょっと先だろうか。私はそうは思わない。宇宙開発は長い助走の必要な跳躍だ。ああ地球上もなんとかなった、明日から月基地作っていいよと言われたところで、作れない。垂直飛びで五メートルのバーを越えろと言うようなものだ。
 その助走をしなくては。ロケット造りは助走なのだ。


 アメリカだかロシアだかの人間が日本に来て、ロケットの工場を見学する。
 見事なものだとほめる彼らに向かって、かんかん機体を叩きながらこう言うのだ。
「ああこれ? こんなもんドラム缶ですよ、空飛ぶドラム缶。――ま、二百個も作ったからね。上に乗っけるもののほうがすごいです。あっちで見てもらいましょう」
 そんな日が来ればいい。