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一日目 ソウルで冷えたり温まったり 2009年11月2日

この日は韓国初入国で、首都ソウルを少し歩いてから、韓国新幹線KTXに乗って、南端にある釜山まで一気に移動しました。

5:00 起床
9:30 中部空港を大韓航空のジャンボ機747-400で離陸
11:30 仁川(インチョン)国際空港到着、首都ソウルへ向かう空港鉄道A-REX乗車
13:20 金浦(キンポ)空港経由で新吉駅下車、徒歩で移動
15:00 麻浦(マポ)にて昼食後、タクシーでソウル駅へ
16:30 KTXに乗車
19:15 釜山(プサン)着



朝、五時に起きて支度を始める。前夜まで夜型だったので、ろくに眠れなかった。これが後に響いてくる。
妻子が起きてくる前に荷造りして駅へ。名鉄でセントレアヘ向かう。
大韓航空カウンターで滞りなくチェックインを済ませる。
出国前の中部空港で見た為替レート。対ウォン比は0.0922倍なので、10000円で約108600ウォン買える勘定だ。


機内に入ると、おや、シートが大きい。
配席の都合か、フルフラットにできるワンランク上の席になっていた。
ありがたく寝かせてもらうことにする。



中部空港を南へ見て西へ舵を切る。
さらば日本、ひとときの別れ。



このクラスだと各座席にディスプレイがある。

ナビ画像を見ながら昼寝。



気がつけば韓国上空に入っていた。町を見下ろす。
水田が多くて、日本の景色によく似ている。ただ、山がちで大きな平地はない。
そして韓国名物その1である細長い高層マンションの集団が見えた。

さらに行くと仁川沖の海が見えたが、これが飛行機の上からでもわかる複雑怪奇広大な干潟。
いるべき場所に船がいない。というのはおそらく、座礁の恐れがあって航行できないということを意味している。
このあたりは世界でもっとも潮の満ち干が大きい海岸のひとつで、干満の差は9mに達する。 マッカーサーが仁川上陸作戦をやるとき、無茶だからやめとけと参謀本部に言われたらしいが、さもあらん。



11:30、無事に仁川空港に到着。
大韓航空本拠地だけあって、水色ジャンボがずらり。



入国。検疫では止められず。機内で書いた入国申請書を提出して、入国審査も一発スルー。
400ドル以上のものを持っているときは税関で申告せよと言われていたが、ノートパソコンとカメラについて記入したのに無視された。
税関を通ったところにあるシンハン銀行仁川国際空港支店でウォンを購入。5万円を出すと、オペレーターが手元の機械をタイプして、すぐに札束を差し出した。会話不要。
渡されたのは62万ウォンだった。つまり10,000円が124,000ウォンになったということ。日本で買うよりもこちらで買ったほうが得である。
これから先は、1000W札をだいたい100円玉と同じ感覚で使っていくことになった。



仁川からソウルまでは高速バスがいいという。
だが今回は外国人用鉄道乗り放題チケット、KRパスを申請してあったので、鉄道に頼って旅することにしている。
駅を探して歩き回り、二人の案内員に尋ねた。二人とも日本語を話した。
空港内の案内員に話しかけたときに初めてアニョハセヨを使い、次の案内員に話しかけたときにはカムサハムニダまで使った。以後、このふたつは常用した。
じきに空港鉄道A−REXのカウンターを見つけて尋ねる。KRパスはここでは手に入らないし、使えない。ソウルまで行けとのことだった。
12:05、A−REXに乗る。ソウル駅までの料金6100W。係員の若い男性は流暢な英語を話した。


12:15 空港発。AREXは名鉄セントレア線みたいにぴかぴかだった。
つり革はくるくる回り、使いやすい。




この後、全国でこれでもかとばかりに見せられることになる、韓国マンションの群れ。



12:52 金浦(キンポ)空港駅で地下鉄に乗り換える。
地下鉄の列車は椅子がFRPでできていて硬い。つり革は普通。
通勤列車風の座席配置。
なお、来年にはA−REXがソウル駅まで直通して、40分で行けるようになるらしい。



13:07 モクドン駅で満席になった。両横を初めて韓国人に挟まれる。
韓国人は体臭が違う、というのを実感する。けれど花の香りっぽくて悪いにおいではない。
あとでわかるが、これはおそらく芳香剤の香りだった。

ソウルまではあと一回、新吉(シンギル)駅で乗換えが必要。
この地図の「現位置」が新吉駅で、目的のソウル中心街は右上の楕円のあたりだ。
いきなりソウルについてしまうのではなく、ちょっと前で降りて、昼食がてら市内を散策したいと思った。
新吉駅で降りることにした。
が、この選択はあとでたたる。



13:20 新吉駅で初めて韓国の地上に出る。思った以上に寒い!
ダウンジャケットを着てきたのは正解だったと、「この時だけは」思った。
そうして初めて見たソウル市内の光景が、これ。

ふつうだ。
周りには板金屋や錠前屋が建てこみ、くずれかけた民家などがある。
生活感バリバリ。
食事どころはないようなので、方位磁針を取り出し、ソウル駅へ向かって歩き出した。




ソウル橋。
名前からしてソウル中心部を表す橋っぽいではないか。
だがそうではないのだな、これが。



韓国名物その2、ハンマーヘッドクレーン。
これのあるところでは、間をおかず韓国マンションおよび韓国ビルが出現すると思われる。
これについては、後ほど詳述。

ひたすら歩く。
愛想のない巨大な商業ビル街が続いており、はなはだつまらない。



BMWに乗って獲物を待ち構えるかっこいいポリスメンがいたので、話しかけてみた。
「アニョハセヨー。フォトオーケー?」
「ホワットカンツリードゥユーフロム?」
「アイムジャパニーズ」
「オーケイ」
 で、撮りまくる。どこの国だとNGだったんだろう。
「カムサムニダー」と告げて離脱。



14:30 さてここだ。
これは漢江を渡る麻浦(マポ)大橋。ソウルと南部を結ぶ重要な橋だ。
が。

長い。



とても長い。
対岸のビル街が少しずつ近づいてはくるが、どれだけ歩いても終わらない。
そして。



人がいない。
この橋はどうやら歩いて渡ったりするものではないようだった。
ちなみにこの日の気温は、飛行機の着陸前のアナウンスによれば、摂氏1度。
寒さと飢えと疲れで遭難しかかりながら、なんとか渡りきった。



14:50 10Kgのザックを背負ったまま生きて橋を渡りきり、麻浦の町に入った。
10Kgというと全然たいしたことがないように思えるかもしれないが、この者が前日まで60日間ひたすら座ってキーを叩く仕事をしており、そして前夜、寝ていないことを忘れてはいけない。



15:00 昼食を求めてさまよう。
求めるといっても、韓国料理の種類などわからない。
ラーメンが食べたい、と唐突に思う。そうだ、韓国ラーメンを探そう。
のちのちこの願いは呪いとなって小川を苦しめることになる。

路地の一隅で、初の韓国ぬこを見かける。



あっ、この店。



麺、売ってない? 売ってるよね?



入って挨拶する。店主らしきお父さんと、お母さん、それにおばさん(続柄はすべて推定)がいる。他の客はいない。
アニョハセヨ、オーケー? と聞くと、手招きされたので、入る。何がオーケーなのかと自分でも思うが、他の言葉を知らない。
あらゆる外国語辞書は冒頭に「この店は、いま開いているのか」の例文を載せるべきだと思う。
日本語、英語は通じない。ジェスチャーあるのみ。
ともかくも座り、表のメニューに書かれている品物を食したい、となんとか伝える。
ポットの水と、金属カップを出される。飲む。普通の水である。




女将から、ブレンミャン? と聞かれる。そうだと答える。
ブレンミャンが何かは知らないが、メンとミャンは似ているから、麺なのだろうという博打である。
テレビではローマ帝国に関する教養番組を、当たり前だが韓国語でやっている。韓国語にクレオパトーラだとかアントニウスだとかか混じる。
それを聞きながら待つ。



メニューはこの通りで、いちばん高いものでも20,000ウォンすなわち1600円だからおそるるに足りない。
ぶっちゃけ60日仕事をした後なので、金ならいくらでもある、という気分。
待つこと10分で、料理が運ばれた。
いかなる麺が運ばれてきたのかというと――。



冷麦であった。
冷麦と、モヤシ、ホウレンソウ、キムチの付け合せであった。
女将はハサミを持ってきて、麺の玉を四つに切った。
そうして速やかに厨房に戻った。

この寒空に冷麦を頼むなんて、物好きな日本人だと思ったことだろう。
おそらく休憩時間だっただろうに、わけのわからないオーダーに律儀に応えてくれて、ありがたいことだと思いつつ食べた。
麺はほんのりグルテンとレモンの味で、さながら讃岐うどんの上級職とでも呼びたいほどコシが強く、いかなる努力を払っても噛み切れなかった。
一口ずつしみじみと味わって、麺とキムチを食べきった。もやしとほうれんそうは残した。
はらわたの底までふんわりと冷え切った。
5000W払って、礼を言って退店した。

改めて店の前の写真を見直すと、確かに氷が浮いていた。


旅行者には、健脚と健啖が必須だと思う。
白状すると、小川はそのどちらもない。無理をして大量に食べるということがぜんぜんできないし、好き嫌いが多い。野菜やクセのある物はだいたいダメだ。国内旅行でさえ食べられないことがままある。はっきり言えば韓国食も好みではない。
だったらなんで来たのだという意見は正しい。その点では小川はよい旅行者ではない。
食が苦手だからってあきらめることはなかろう、という一種の開き直りでもって来ている。
商店街を見てそぞろ歩く。



冷え切ったはらわたを温めようと自販機を見たら、大変安くて一瞬混乱した。
お茶200W、ココア300W。それぞれ16円と24円である。
熱いココアを買った。ものすごく甘くておいしかった。



15:30 余力がなくなる。新吉駅からソウル駅まで歩けると思ったが、見当違いだったらしい。そういえばロンドンでも似たようなことをやった。進歩がない。
やむをえず、タクシーを拾う。
道端へ止まっているやつをノックして、自分で開ける。韓国のタクシーはドアが自動で開かない。
ソウルステーション、オーケー? と聞くと、オーケーオーケーと言われるので、乗る。
聞いていたとおり、運転は荒かった。というよりも、交通の流れが荒いので、どうしても荒くせざるをえない感じ。

後で調べたら新吉からソウル駅までは約8キロあった。むしろ麻浦で地下鉄を降りればよかったんだろう。
タクシーは3200Wで駅へ到着した。260円。



韓国タクシーはこのような車。




15:40 駅前でタイヤキの屋台と出会う。
「アニョハセヨー。いくら? ハウマッチ。1000W? ヤー、ヤー。アイシー。カムサハムニダー」というようなやり取りの末、購入する。
小さいの二個入り1000W、80円だった。



中は生地がまだトロトロ、外だけパリパリで、あんこが少ない。大変自分好み。
皮肉でもなんでもなく、今回の旅行で一番おいしい食べ物だった。



2004年に新設されたばかりのソウル駅舎へ上る。



駅前の光景。



KRパスをあがなうべく、旅行案内所のカウンターで尋ねる。
対応のおばさんは、日本語が話せなかったが、英語が堪能だった。
パスは日本からのインターネット購入で、113,900W。つまり9500円。
KRパスのバウチャー(引換券)とクレカを見せて、とどこおりなくパスを手に入れた。

また同時に、韓国新幹線KTXの指定席券も購入。
注文方法は例によって「プサン。(指を一本立てる)」。
韓国の長距離列車はすべて指定席である。
ホーム、号車、座席の番号をことこまかに説明される。



このようなチケットが出された。

15:50 外が寒いので、手袋を買いたくて駅付属のデパートに入る。
一階婦人売り場には婦人用しかなく、メンズはあるかと女性店員に尋ねたら変な顔をされた。
メンズ・レディスは通じない。これは和製英語なのだろうかという暗い疑惑が生じる。
後で調べたらそうでもないようだった。
時間もなかったので買わずに退散する。



コンコース、というか、ただの通路というべきか。
地下鉄を除く韓国の列車には、改札口がない。



その通路から、KTXを見下ろした。
屋根がずいぶんすっきりしている。



扉は日本の新幹線のように壁の内側に収納されはせず、外側にスライドする。
ステップは必要に応じて降りる仕組み。



中に乗っても誰もいない。
こんなんで採算が取れるのかなあ、と思っていると――。


発車間際には満席になった。
こんなにギリギリになってからしか乗らないとは、韓国人はのんきなものだと思った。

思ったのだが、後日webで調べたところ、「韓国の鉄道は発車時間間近にならないと改札が始まらない」という記述が散見された。
小川が滞在した四日間では、改札が始まらないというか、そもそも改札行為を一度も見なかったので、切符をもらったらすぐ列車に乗ってしまったのだが、これはどうするのが適当だったんだろう。
自分は何か犯罪をしたのか?

小川の席は窓側で、隣席が中年婦人になった。
広軌の鉄道のわりに、車内はあまり広くない。座席も日本の特急並み。
新幹線が備える、あの独特のプレミアム感は感じなかった。

16:30 KTX発車。

走り出すとカタンカタン言うので、新幹線のような伸縮継目レールではないとわかる。
振動は少なく、乗り心地は大変良好。
周囲にはDSをやっている男性や、編み物をしている婦人がいた。みかんを食べている女性もいた。
騒々しかったり、落ち着かなかったりということはなかった。
車窓から見えた景色については、後ほど述べる。



19:15 釜山駅着。 釜山駅の書店では日本の漫画やラノベの翻訳ものがふんだんにあった。
その分野ではほとんど日本と並んでいる。ただしポスターやポップを周囲に出したりはしていない。
この辺りから、ひとつの仮説が兆した。これは後ほど書く。

疲労しており、韓国食を口にする体力がなく、適当に何か買ってホテルで食べるつもりでいた。
駅内のベーカリーで、パンをふたつ買って、宿を目指した。



初日ということで、宿は無難に日本系列の東横イン釜山店にした。料金は米ドル建て35ドル。インターネットで日本から予約・支払済み。
ところが、駅から見えていた店舗は、東横イン駅前店であった。
予約したのは東横イン中央洞店であり、300メートル先だという。
これがなかなか見つからず、発見まで40分近くをついやす。
吹雪のなか乗馬は力尽き、部下たちは倒れ、食料と燃料を使い果たしたころ、かろうじてその店にたどり着いた。



20:00 入浴し、痛む足をよくもみほぐして休んだ。
夕食は韓国ビールと韓国パン二つ。 左の丸いパンは、食べると中がふかし芋だった。というよりも、芋の周りにパン生地をちょっと貼り付けただけのものだった。
手前の細長いパイ状のものは、なんらかの甘い木の実のペーストを練りこんだもの。正体不明。
どれもおいしく、満足した。
室内の有線LANでネットへ少しつないでから、24時に就寝。



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