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二日目 単線「ぶらり韓国下車の旅」 2009年11月3日 前編

この日の午前は南の海港・釜山市にある繁華街を歩き、昼から在来線で田舎を走り、
古都・慶州(キョンジュ)へ移動しました。
前編では慶州へ着くまでをお伝えします。

8:00 起床
9:45 チェックアウトして地下鉄で西面(ソミョン)へ
10:22 西面につき繁華街を歩く
12:20 昼食をとり釜田駅へ向かう
13:40 長距離在来線セマウル号で慶州へ向かう



08:00 起床。前夜濡らしたタオルが干物のように乾いていた。
外は快晴で、釜山港の景色がよく見える。
08:30 ホテル内で無料の朝食を食べる。
キムチがつくことを除けば、日本人向けの味付け。



09:45 チェックアウトして釜山市内をぶらつきつつ駅へ向かう。
実はこのときまで、今日どこへ行くか決めていなかった。
西方の木浦(モクポ)という町へいって、黄海の大きな干満をのんびり眺めるのもいいかもしれないと思ったが、そこまでバスで5時間かかるという。
5時間も乗っていたらろくな行動が出来ないので、あきらめて、約80Km北の慶州を目指すことにした。
ひとまず、昼までは釜山に滞在することにして、西面に向かう。



コンビニに入って飲み物を探す。



やや小さな、350mlのペットボトルを買う。
バックパックのサイドポケットにぴったりだ。



釜山駅も最近の新築で、ピカピカしている。
朝は寒くて木枯らしが吹いていたが、なにぶんダウンジャケットなど着て行ったので、日向を歩くと即暑くなった。



10:05 プサン駅で地下鉄一号線に乗る。
釜山地下鉄は三号線まであり、近距離1100W、遠距離1300Wの二ゾーン制。
券売機が日本語対応しているが、路線図はハングルと英語でしか表示されない。
壁面の路線図を見て目的駅の見当をつけて、対応チケットを買う。そう難しくはない。



改札は自動改札。



地下鉄ホームには手すりも。ソウルでは防護ドア完備だった。
このあたり、日本よりもやる気があった。



西面駅コンコース。広い、新しい、きれい。



が、こういうところは今風でない。
罵声が聞こえたので行ってみると、釜山警察とブティックの女店主が揉めていた。
陳列台を路上に出している店を、当局が規制しているらしい。
店主は警官を猛烈に罵倒しながら、しぶしぶ台を片付けていた



10:22 西面(ソミョン)駅着。
西面はプサンのナウなヤングにバカウケのストリートである、と地球の歩き方に書かれていた。ということは韓国の南半分において最大の繁華街だということだ。歩き始める。



いきなり細い路地に入ってみたり。


キムチ用の白菜があちこちに山積みされている。


10:45 手袋がほしくて、韓国の誇るロッテデパートに入る。



三階紳士服売り場をぐるりと回り、スポーツ洋品店でポーラテックのよさそうな手袋を発見。店員と話す。日本語はダメだがきれいな英語を話す。40000ウォンだがセール中で32000ウォンであるとのこと。2560円。買う。



串ものの屋台。
たぶん豚の皮だと思うが、薄い肉を波にして串に刺し汁でゆでたものを売っている。男も女もそれを買ってかじっているのを全行程で見かけた。ちょっと食べたい気分ではなかったのでスルー。



11:00 デパートを出てさらに歩き回る。屋台街を発見する。ロッテ一番街との由。
大きくておいしそうな餃子を売っている。揚げ物や汁物なども売る。まだ準備中のところも多い。
ところで、今回背負ってきたタロン22は、もろもろ詰めこんで10Kg近くなっても、背負うとほとんど肩に重さを感じないという、非常に優秀なバックパックである。
ただし、その重さはどこへ行ったのかというと、肩ではなく腰に来ているだけなので、足にかかる負担は変わっていない。楽だから大丈夫、というつもりでいると、知らない間に足に来るので要注意だと、昨夜思い知った。



11:30 閉じているシャッターは少ない。街が生きている。まだ大規模小売店が少ないからか。
マックもあればスタバもある。西面ロータリーの南東側は飲食店、小物店、ブティックが多くにぎやかで池袋に似ている。ただそちらは、むやみやたらと携帯ショップが多かった。
家電店も発見した。一階はPC売り場になっていた。だが品揃えは少なく、店員が一人ずつついて、なんだか高級店のようだった。庶民は買わずにPC房で済ませるのかもしれない。
 PC房はよく見かけたが、PCショップは旅行中ここでしか見なかった。ソウルの竜山電子街にも行きたかったが行きそこねた。



12:00 腹が減ったので昼食にする。屋台街に戻って、おばちゃんにギョーザを頼もうとした。
二個くれと言うと、一人前八個からだと言われる。
自分の隣にいた五十歳ほどのスーツの男性客が、ニヒャクゴジュウエン、ニセンゴヒャクウォンだと日本語で教えてくれた。礼を言った。
2500Wで8個買った。



さらに温かい飲み物がほしくて、ロータリー近くの角の小ジャレたコーヒーショップに入る。レジ前で「えーと」と迷うと即座に日本語メニューを出してきた。鋭い。
モカスモール5000W、400円。この手のショップのドリンクとしてはまったく普通の価格だが、8個200円のギョーザと並べると高すぎて不条理に感じる。
コーヒー店で餃子を食べるのもなんなので、テイクアウトして外の大理石ベンチで開ける。



付属のコチュジャン、にしてはだいぶ液っぽいもの、に餃子をつけて食べる。この汁が日本でいう醤油のポジションにあるらしい。
口に合わないかも知れず賭けのつもりで食べたが、勝った。うまい。
ふたつで済ませるつもりだったのに、四つも食べてしまう。
あとで地球の歩き方を見たら、マンドゥであると書いてあった。



ベンチが寒かったので、ギョーザを食べ終わったところでモカを持ってさっきのカフェの屋外席へ移動。日に当たりながらあたたかく甘いモカを飲む。
これがなぜかとてつもなくおいしくて、空気を抜いた風船みたいに体が席に沈む。
平日の真っ昼間に屋外席でただひとりコーヒーを飲みふける。バス停前なので多忙なプサン人が並んだり歩いたりしている。わけもなく勝ち誇った気分になる。
バス停から中年女性がやってきて何か話しかけたが、アイムイルボンと答えると去って行った。なんの用だったのかわからない。



12:20 食事を終え、次の目的地へ移動開始した。目当ては列車駅である。
地下鉄に乗って釜田洞駅で降りる。
地上へ出ると大通りから駅へと登る道が野菜祭り。露店エリアらしい。


地下鉄入り口にまで爺さんが座って、米や豆をザルから量り売りしていた。
さつまいも1Kg3000W、きゅうり1Kg1000W、にんにく1Kg2000W。恐ろしく安い、と思う。
それに生きたドジョウなども売っている。




 日本と同じようなスーパーを見つける。


中に入って、昨日なに食べたの主人公みたいに値段を調べる。
1000W=80円のレートで、トマト100g2980W。りんご3コ2500W。えのき一束1750円。トーフ420g一個2800W。
牛バラ200G4700W。赤卵10コ3650W。米20Kg36800W。きなこもち150g1932W。
豆腐、肉、卵、きなこもちなどはあまり安くない。米は日本の半額以下だ。
主要な野菜は表の露店で買える。スーパーはおのずから高級店の位置づけらしい。



カートごと階上に上がることができる。


ポップな警察署。


釜田駅。


跨線橋から見下ろした列車。
余談だが韓国ではホームと言わず、トラックと言う。



13:15 KoRail:コレール釜田駅で慶州行チケットを求む。
待合室に人は少ない。韓国はどこでも日本ほど過密ではない。
窓口のお姉さんに話しかける。日本語は通じないが英語はOKであった。
アイウォンゴートゥー・キョンジュと告げてKRパスを出す。
ハウメニピーポー? と聞かれるので指を一本立てる。
そしてフェンザネクストトレインウィルゴーと尋ねると、ワン・フォーティーとの返事であった。1:40の由。
オーケーネーネーと答えて席をもらう。号車と席番号と発車ホームが指定された。



ホームへ降りる時間の少し前に駅員が扉を開ける。ひとびとが、といっても十人ほどだが、ぞろぞろとホームへ降りる。



気動車のセマウル号が止まっている。
電光表示にはセマウル号→ソウルとある。ソウルへ行かれては困るので近くの駅員に思い切り日本語で「すみませーん」と声をかける。振り向いたところでアニョハセヨと言い直して、キョンジュ行く? と尋ねる。キョンジュイク、と返答が得られたのでカムサムニダ、と言うとにっこりされた。
たいていの韓国人は最後にカムサハムニダと言うと喜んでくれるようである。
セマウル号に乗って指定席へ向かう。二列二列の配置。
さいわい隣は空席だった。

韓国では二列以上並んだものを数えるときは縦書きではなく横書き、すなわち 千鳥配列で数えるらしい。ホテルの部屋と、列車の座席の二例を見た。
ハングルが横書きである関係か。

13:40:10 出発する。秒単位の正確さである。
また余談だが、自分の電波腕時計は、この街で電波を受信できていた。九州の発振局の圏内らしい。



海岸線に沿って走り出す。
韓国の踏み切りはイギリスに似て走行車線にしか遮断機がない。

この線は単線でレールの継ぎ目が鳴るが、乗り心地は非常によい。



そして大きな踏切では踏切番の詰め所があり、職員がついていた。



日本海が見えた。
海雲台(ヘウンデ)の先のこの辺りでは、海岸沿いに鉄条網が走り、詰め所があった。北朝鮮対策の軍事施設なのだろう。
と思ったが、ちょっと行くとなくなってしまい、以後二度と見ることはなかった。
なにかこの辺に限って重要なものがあったのだろうか。


わさび園、に似た何か。香辛料の農園か。
さあこの辺りから、いよいよ小川の希望していた、韓国辺境地域の光景が見られるようになる。



韓国のただの川。人々が集まって散歩か、掃除か、競技のようなことをしている。



どっさり盛られて売られる果物。


月内、という小さな駅。
昔はもっと貧弱だったんじゃないかと思うのだが、JRと同じで、この線の駅はみんなこのように小奇麗に改築されていた。
でも線路はサラリと歩いて渡れる。踏切警報機すらない。



韓国の、ごくふつーの田舎町。剋目して眺める。
コンビニがない。
パチンコ屋がない。
イオンもジャスコもない。
看板のたぐいがほとんどない。
農村にあるのはガソリンスタンドだけだ。

山地には杉がなく、松が多い。
丘の上の森の陽だまりにはたいてい土饅頭がある。お墓だろう。
それはしばしば二基なかよく並んでいる。

韓国にはどうも大平原がないように見える。
そりゃ日本にだってないが、関東平野程度のものはある。
それが韓国にはない。
特にこの南部地方は山ばっかり。全体が福井県みたいな感じである。



とてつもなく大きなコンビナートが現れる。四日市よりも凄いように見える。
現代(ヒュンダイ)自動車の本拠地、蔚山(ウルサン)広域市であった。



学校。たぶん高校か。
これは午後四時半ごろの撮影だが、グラウンドに人がいなかった。
ほかに小学校と中学校らしき施設を見かけたが、やはり校庭に生徒がいなかった。
また、この時間まで、街中にもいなかったし、列車の中でもまったく完全に子供を見かけなかった。
韓国の子供はどこにいるんだろう。
夕方まで塾にでも行っているのだろうか。それとも本当に子供が少ないのか。



15:36に列車は目的地・キョンジュ駅に至るのだが、それまでの間にいくつか考えたことがあるので、次のページで書いてみる。


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