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小川流域観測所
2001年3月〜4月

きれいな小魚とか美しい鳥とか自転車とかどざえもんとか、
いろいろなものが流れてくるわけです。小川には。


>> 4月2日(月) <<


 ついたち、どうやらだまされたらしいんですが、だまされた場所で告白するのも悔しいのでここでこっそりと。

 野尻ボードで、まず家主の野尻さんが二点の書きこみ。
・太陽活動が活発で、地球における北米大陸ほどの割合で太陽面を黒点が覆っている。
・ドラマ「ロケットボーイ」の評判に驚いたNASDAが、宇宙ステーションに織田を乗せようと考え始めた。

 次、「エリ・エリ」著者の平谷美樹さん。
・岩手にオーロラが出た。黒点の影響だろうが、ずいぶんすごい。

 信じましたよ私は。わざわざ北海道のMIZさんのところにまで電話をかけてオーロラが見えるか聞いてしまった。
 野暮天を承知で言うと、二段構えです、これ。
 まず、太陽活動が極大と言うのは本当。
 でも、北米大陸並み、と言うのはウソ。せいぜいハワイぐらいです。画像で確かめたのに、ああ、アマチュアが観測するとそれぐらいに見えるのか、と納得してしまった。この時点で1ボケ。
 さらに、岩手のオーロラもウソ。でも、黒点を枕にしていたから信じてしまった。実際31日、北海道ではオーロラが見えてたんです。2ボケ。

 北米大陸と織田裕二が抱き合わせの時点で気付くべきだった。こっちももちろんウソだろう。
 よく考えたら、エイプリルフールはウソをつく日であって、トップページをヘンにして喜ぶ日ではないのだな。うむ、本質を忘れていた。
 来年こそは一発!



>> 3月30日(金) <<


 明後日はエイプリルフールですね。そういえば去年もそんな日がありましたね。今年もあるようです。
 更新ネタがないので、そのようなことを思い出しました。仕掛け人、というかけしかけ人はいとう文化堂 のMIZさん。このくそいそがしいのに、恨みます。



>> 3月28日(水) <<


 ふふ、あと四日で百枚。よっかでひゃくまい。
 それも破竹中の百枚ではなく、泥沼中の百枚。
 ふふ。



>> 3月21日(水) <<


 筒井康隆「家族八景」を読む。
 読心能力を持つメイドの女の子が、勤め先の平凡な家族の心を読み、その裏側にあるどろどろしたものを語る話。メイドファンにおすすめ。(実際いたら怖いメイドだけど)
 直木賞候補にも上がった秀作だそうだが、私は本編より先に選評を見た。中にこうある。「八つの家族を描いた話だが、八つとも暗すぎるので選に漏れてしまった。ひとつぐらい底抜けに善良な家族の話を織り交ぜてもよかったのではないか」(「東海道戦争」あとがきより要約)
 読む前は、なるほどそういう話か、と思った。確かに、たくさんの暗い話にぽつっと明るい話が混じっていれば、それだけで全体の救いになる。暗い話よりは明るい話のほうがいいよなあ。
 ところが、「家族八景」を読み、この人の他の話も読むにつれ、この選評はないだろう、と考えが変わった。救いなんかつけたらだめなのだ。つけたら止まる。救いもなく徹底的にくらーくどろどろと書かなければ、「家族八景」は意味がない。容赦ないのがいいのだ。

(中の「芝生は緑」だけは、これは救いのある終わりかたにも見える。あるのを無理やり作者が、ないように見せかけているように見える。――私の人生経験が足りないからか?)

 いいとわかったのが今ごろとは、我ながら遅い。高校の頃はこの作風が嫌いで、ろくに読まなかった。こういうのもアリだ。方向はともかく、非常に純粋。とがっていてよく刺さる。
 というようなことは、もうあちこちで書かれていて、(書かれ終わっていて)、今さら言うまでもない。でも私としては新鮮だったので。

 しかし、いま読んだのは失敗だった。書いている話に文体が移る移る。
 そうか、これが「筒井康隆」のパワーなのか、と徐々に怖くなってきているところ。



>> 3月17日(土) <<


 中日新聞3月16日夕刊より抜粋
[メキシコ市15日共同]ブラジルのリオデジャネイロ州カンポス沖200キロで、海底油田掘削施設が爆発事故、1人が死亡9人が行方不明。同施設は総重量三千百四十万トンで高さは四十階建てビルに相当し、世界最大といわれる。

 目を疑いました。そーかー、おれの知らないうちに、人類はこんな巨大なものを作り上げる技術を手にしていたんだ。いや、カナダじゃ三百トンのトラックが走ってるし、「世界まるみえ」でもドイツの何千トンって掘削機械を紹介してたしな。三千百万トンぐらい……さんぜんひゃくまん……空母何百隻だおい。

 中日新聞3月17日夕刊より抜粋
[メキシコ市16日共同]リオデジャネイロ州からの報道によると、同州沖で15日に爆発した世界最大の海上石油掘削施設=三万一千四百トン=について、同施設を所有する会社は……

 そんなことだろうと思った。さりげなーく訂正してやんの。がっかり。
 でも、どこいらへんで千倍にふくれ上がったんだろう。大方、キロとトンの読み違えだろうとは思うけど……
 いや、わざとだ。ラテンの人は大げさだから。

 ちなみに今、こんな感じだそうです。



>> 3月14日(水) <<


 え、もう一週間? そんなばかな。
 本当だ。毎日書いていないと、こうも速く日が経つものか。

 申しわけありませんが、ネタはありません。この一週間、本当になにも面白いことをしていない。今日ミールを見たぐらいで。(昨日はいいロケーションだったらしいのに、そういう時に限って忘れているのだ。ぶつぶつ……)
 ミールについては、ここで楽しそうなことをやっているので、まねごとをしてみます。落下当日はカメラと傘を抱えて田んぼへ出撃。
 しかし、今日うちのカメラで撮った限りでは、広角すぎるのと露出時間が伸びるのとで、まともな写真は撮れなさそう。

 傘? もちろんさかさまに構えて待つんです。



>> 3月7日(水) <<
 ひと様にメールを出したあとで、書いた内容についてふと気がかりができる。

 ……というような難しいことを言われたので、びびりました。

 びびる。はて、これって日本語か? 妙に今日的脱力感があるよな。あわてて角川国語辞典を引いてみるが、載っていない。
 待て待て、落ち着いて考えろ。おれはこの言葉をどこで覚えた? そう、これは確か、甲高い声の、子供っぽい、アホタレな誰かが連発していたような覚えが……
 あーそうだ! アラレちゃんだ! 「びびった?」は、アラレちゃんが「つおい?」とか「んちゃ!」と一緒に広めていたのだ!
 すると私は、そんな造語を真正日本語として堂々と書いていたのか、むうまた恥をかいた――と思いながら、念のため広辞苑を引く。
 載っていた。

「びび−る」はにかむ。はじらう。しりごみする。柳樽「あいさつに男の−・る娵(よめ)の礼」

 ……元からあったのか。しかも古語だ。意味も私の使いかたで正しい。
 うん? アラレちゃんの「びびった」は、「びっくりした」という意味だよな。するとどうなっているんだ、つまり、
「元からあった『びびる』に、アラレちゃんが別の意味を付与したが、彼女のインパクトが大きかったのでそれが出典として記憶にすりこまれ、にもかかわらず意味は従前のものとして引き続き認識していた」となるのか。
 ああややこしい。
 が、面白い。またこんな例でどきどきしたいものだ。



>> 3月5日(月) <<

 異常事態発生。驚くべきことに、もう五日も車に乗っていない。
 ……たいしたことではないけど。しかし、私の辞書で車に乗らないという言葉は、即、外出停止を意味しているので。原付はさむいし。
 次にハンドルを握った時に感覚を忘れてやしないだろうか。最長禁車記録は以前アマリアを書いた時で、2週間。あの時は椅子の下にペダルがついているのがものすごく不思議に思えたものだ。それがまた新鮮でよかったりしたが。

 そんな具合にテーブルの前に張り付いているのだけれど、仕事は立山黒部アルペンルートの雪かきのように遅々として進まず。
 すみません、本日は生存報告のみです。



>> 3月1日(木) <<

 さて、新しい日記システムもできたところで、第1回。
 昨日は団地の粗大ゴミの日。粗大ゴミといえば、宝の山である。自慢ではないが私は廃品回収が大好きだ。ざっとそこらを見まわしてみても、ハンディクリーナー、ラジカセ、扇風機、カラーボックスなど、拾ってきたものが山ほどある。拾い物で命をつないでいると言ってもいい。クリーナーはフィルタにストッキングを使っているし、ラジカセは電池でしか動かないが。その辺はご愛嬌だ。
 しかし今日はさすがに驚いた。
 天体望遠鏡がごろんと落ちていたのである。それもでかい。びっくりして調べてみると、ビクセンの60ミリケプラー鏡で、焦点距離は610ミリ。今もっている安物の1.5倍だ。
 三脚も木製で頑丈、鏡筒も歪みはない。なにより、私が切望していた水平微動の機構がついている!

 目がくらみ、ほこりまみれなのにも構わず五階の我が家まで速攻持ちかえった。さっそく細部を調査してみると……おやおや、どうもおかしい。
 まず接眼レンズがないが、これは最初からわかっていたから構わない。手持ちのやつをはめたらちゃんと合わさった。
 しかし、仰角保持のロッドがかくかく滑って固定しない。ネジ山が完全に潰れている。それに重心位置もおかしい。前半分が長くてすぐうつむいてしまうのだ。これは元からそういう作りらしいが、どうして重心点に支点を作らなかったんだろう?
 根元にくっついている小さな導入鏡も、架台のネジが一本はずれている。本体を圧迫するネジのとっても同様。前の持ち主の使い倒しぶりが想像できる。いや、単に力加減を知らない人だったのかもしれない。
 窓際に持っていってのぞくと、一応見える。
 しかしなあ、これは使い物になるかどうか、かなり難しい線だ。はっきり言ってボロボロである。捨ててあったのだから無理もないが。
 いっそ微動機構だけ外せればそこだけを使うのだが、架台と一体化していて無理。その架台は、いまどき折り畳みもできないものごっついやつだし……
 外れだったかな?