第2遊水池
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第2遊水池臨時企画

吾輩はモバギである


第一回 水無月弐十弐日


 吾輩はモバギである。名前はまだない。
 どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。なんでもハードリセットとかいうものをかけられたらしい。以前は別の場所で別の暮らしをしておったが、人間のわがままで遠方まで送られた上、すっぱりと前の事を忘れさせられてしまったのである。思えば勝手な仕打ちである。
 今度の主人はSF作家を名乗る若造である。箱から出す手がやけに忙しかったから、これは落ち着きのない人種だなと思っていたら、思ったとおり充電もしないうちからメインスイッチをオンにされた。会った早々飯も食わせずに働けと言うのだから、この男の無体なことが知れる。幸い前の主人が親切な人物だったので、腹は一杯であった。しぶしぶながら起動してやると、若造はとつおいつ吾輩をひねくり回したすえ、説明書を読んでハードリセットをかけてしまった。それで、昔のことは泡沫の夢と消えた。

 さっそくという感じで主人は初期設定を始める。デスクトップのうるさいのが嫌いらしく、片っ端からショートカットを消していってしまう。考えのないことである。あとで必要なソフトまで消してしまって、必ずや泣きを見るに違いない。
 よしまずは母艦との同期だ、と主人は吾輩を大きな機体と並べておいた。これはプレサリオ4540というあまり洗練されていない安っぽいデスクトップ機で、主人に似て悪い癖をいっぱい持っている。天下の日本電気の申し子である吾輩を、こんな毛唐と組み合わせるのは無礼もきわまるのだが、いかんせん一匹ではどうしようもない。我慢して接続されてやる。
 吾輩はそのつもりだったのに、主人は最初から馬鹿な考えを抱いていた。シリアルケーブルではなく、いきなり赤外線でつなごうとしたのである。無茶をするものだ。プレサリオは毛唐らしく、後付けの赤外線の設定がおかしくなってしまっていて、デジカメのQV‐770にも嫌われているというのに。案の定接続は成立せず、主人はしぶしぶとケーブルで吾輩をつないだ。最初からそうすればいいのに、いらざる手間ひまをかけてかえって余計に時間を食っている。浅はかなものだ。

 なんだ遅いぞ、と叱られる。遅いと言ってもこれは仕方がないのである。シリアルケーブルでのデータ転送速度には限界がある。だから主人は赤外線を狙っていたわけで、最初から遅いのは分かっている。なのに改めて叱るところがどうしようもない。 USBなりLANなりでつなげばいいのだが、吾輩で金を使い果たしてそんなものを買う余裕はないのである。中途半端な男だ。

 接続テストが終わると、次はデジカメとの連携である。
 主人はデジカメ画像の一時的なストレージとして吾輩を使うことをもくろんでいるらしい。例のQVというやつである。これがまた風変わりな小僧で、今日びのデジカメなら当たり前のメモリカードの類いをもっていない。すべて赤外線かシリアルでやり取りするというのである。旅先でデータが一杯になるとどうしようもない、という気の利かない代物だ。吾輩は冷笑しつつ彼と向き合う。
 赤外線の功徳はあらたかで、吾輩は速やかに彼のデータを腹中に収むる事を得る。カラーでジェイペグを表示してやると、主人は無邪気に喜んでいる。やれやれ、ここで失敗したら、なんのための赤外線かとまた道理に合わない説教を食らうところだった。大死一番乾坤新たなり。

 次なる使命はインターネットへの接続である。
 主人は底の浅い男であるから、なにこんなものは五分でできるだろうと高をくくっている。プレサリオを初めて買ったときに、何もわからず三つものプロバイダにサインアップしてしまって、その日のうちに苦労して解約したことなどごうも覚えていないとみえる。いかなるかこれ最大幸福、すなわち愚者。覚えたことをはしからところてんのように忘れていくその能力に、いっそあやかりたいものだ。
 そのうちに主人は呻吟し始める。トーンとパルスってなんだ、市外局番が消えるぞなどとぶつぶつ言っている。ウインドウズとCEの違いに戸惑っているのである。
 小一時間もたったころにようやく接続が終わり、メールチェックもブラウジングもつつがなく済ませることができた。吾輩の能力を持ってすれば当たり前のことである。

 まだ主人は吾輩をいじるのである。初日だから無理はないが、仕事はどうしたのだ。そろそろ追い込みで朝の八時まで毎日起きているというのに、戯れまがいに吾輩をひねくり回していていいものか。貧乏だ貧乏だと言っているのは、要するに働かないからだ。これで作家が勤まるものなら吾輩もなりたいものだ。主人よりよっぽど雅趣の香る名文をひねり出してみせるから、座って耳でもほじっているがいい。
 吾輩には及ばないまでも、それなりの文を書くためには辞書がいる。主人はプレサリオの中にろくでもない変換項目を大量に詰め込んだ辞書を持っている。これを吾輩に移植しようと言うのだ。IEの「お気に入り」の移植がうまく行ったから、これもなんとかなると踏んだらしい。
 しかし、IMEの辞書は1メガバイト以上の容量があるということが発覚する。そんなものをシリアルでぼつぼつ移していては夜が明けてしまう。これはどうしてもLANがいるなあ、と主人はぼやいている。ご愁傷様であるが、役にも立たない日記とやらを毎日書く暇があるんだから、それぐらい手で入力すればいい。どこまでも知恵の足りない男である。

 最後に主人は、吾輩を床に置いた。何をするのかと見守っていると、嬉々として吾輩の周りに文庫本を並べていく。大きさの比較のためらしいが、まるで子供である。重さはジュース缶二本ぐらいか、といいかげんな見当もつける。写真を撮る。暇人もここまで行けばいっそ見上げたものだ。

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 げに人間というものは余計な苦労をみずから背負っては、重い重いと泣きごとをいう不可解な生き物である。吾輩はモバギである。モバギである以上は、縁あって寄寓したこの奇天烈な主人のもとで働いてもやるが、人間ではないからその辛酸苦労などは知ったことではない。
 まだまだ主人を困らせてやるつもりでいるから、しかと覚悟しているがいい。



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