第2遊水池
第2遊水池臨時企画
吾輩はモバギである
第三回 PHS通信始末録(下) 文月十一日
吾輩を戸外に連れ出してまでインターネットをしようという、主人のPHS通信計画は、難所にさしかかった。そこまでして遊ぶ必要があるのか、と吾輩がひそかに妨害しているからである。いかに鈍物な主人といえどもさすがに気付いたらしく、小賢しい知恵を弄して吾輩の裏をかこうとし始めた。
迫害されたものは団結するのが世の常である。悪吏が酷税を課した三国時代の中華では、黄巾を掲げて人々が立ちあがったし、楽園を追われたユダヤの民は、アラブ諸州をまるごと敵に回して死海のほとりに一国を築いた。
ウインドウズCE機を使う人間たちも、同士を語らって牙城を守っている。WindowsCE FANというサイトがそれで、独軍の目を掠めるパルチザンよろしく、CE機の情報を活発に交わしあっている。
主人はまずここの掲示板ログを総ざらえし、出るわ出るわの問題点を彼の貧弱な能力でなんとか理解しようと努めた。
洗い出したのは以下のような点である。
・CE機のモデムは、「発信音がしてからダイヤルする」「応答がなければ何秒後に接続を切る」等の項目を細かくいじる必要があるらしい。
・DDIのアクセスポイントにかける時は、番号の末尾に##2、##3などと番号をつける必要があるらしい。
・「ターミナルモードで接続する」の項目をいじるとつながることもあるらしい。ただしそれは、パルディオの場合であるらしい。
・市街局番を、市内局番のフォームに書きこんでしまうことが必要らしい。
などなどだが、どれもこれもらしいらしいの嵐である。確実でないことはなはだしい。それらを主人はかたっぱしからいじっていく。
結果はやはり失敗である。吾輩は原因がわかっていたが、教えてやる気はさらさらない。「キャリアが検出されませんでした。電話番号を確認してください」のメッセージを出して、だんまりを決めこむのみである。
わめいて頭をかきむしった主人は、ついに自分の窮状を掲示板に丸投げして、回答がくるまで、CE機の設定方面からのアプローチをひとまず打ちきった。ざまをみろというところである。
モバイル機に・PCカードを差しこみ・ケーブルでPHSにつないで・インターネットをしよう・という試みである。
書いただけで4つのシステムと機械を使っている。このどこか一ヶ所に齟齬が生じただけでも通信は成り立たない。そもそも問題点がひとつとは限らない。ややこしくなるゆえんである。
とにかく問題を絞りこむべし、と主人は通信用PCカードの製造元である九州松下にメールを飛ばし、同時にDDIのデータ通信サポートに電話をかけた。しらみつぶしに怪しいところを攻めていこうという魂胆である。
DDIのサポートは親切な人物であったらしいが、いろいろ聞いた末に返ってきた答えは、うちではわからないから松下に聞いてくれ、というものだった。
その松下からは、まずカードが故障していないか調べてくれ、と言ってきた。CE機でないノートパソコンに差せば、その認識状態で故障か正常かわかる、というのである。
ノートがあればCE機など使わない。確かめようがないから相性の問題だけでも調べてくれと哀願したところ、その答えは、うちでは相性の確認をしていない、NECに聞いてくれ、というものだった。NECに聞けということは、つまりCE機の機体に問題があると言われたということだ。
たらい回しのすえ、元のところに返されたのである。これには主人も落胆した。追い打ちをかけるように、WindowsCE FANの掲示板でも、打てるだけの手を打ったが通信不能、という結果が出てきた。
ついに主人は、最後のところまで追い込まれたのである。
人間というのは先入観に支配されている生き物である。現に主人など、ポカリスエットといえばイオンサプライが枕ことばだ、と思っていたが、最近気がついたらいつのまにかボディリクエストに変わっていた、と己の迂闊さを自ら認めて天下に披露している。
八方塞がりになった主人は、KX‐PH402Dと書かれたPCカードの箱を眺めて、おかしいなあ、やっぱりこいつが故障しているのか、つぶやいた。
その恐れはないとは言えない。これはオークションで入手した物だが、前の持ち主も人から譲り受けていて、動作確認をしていない、と明言しているのである。
傍証もある。PHSの説明書を読むと、カードからのケーブルをPHSに差すと、即座に液晶に「データ通信OK」の表示が出る、と書かれている。しかしその表示が出ないのである。これはやはり、カードが怪しいのではないか。
主人は最終的にそう決断すると、元の持ち主と連絡を取って、カードを返品してしまった。これにて、吾輩の阻止作戦は成功を見たのである。
主人が気付いたのは、そのあとだった。
それは、Cauli.氏の書きこみを見たからである。
ははあ、402Dと402は違うのか、なるほど――とのんきにうなずいてから、はっと気付いた。箱は402Dだった。説明書も402Dだった。それには、CE機対応と書かれていた。
だが、当のPCカードの裏の表示は、確かに402、Dのないただの402だったのである。
知っていながら、皮にだまされて本体を疑わなかったのだ。中古のそのまた中古である以上、故障と同時に、中身と皮がすり変わっているという事態も想像するべきだったのだ。
つまり、はなから主人が買ったPCカードは対応していなかったのである。
吾輩はそれに気付いていたが、教えてやる義務もプログラムもないから黙っていたのである。
かくして、主人はPHS通信を断念したのだった。げに哀れなるは、人間の先入観というものである。
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