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Rep.14 練習帆船あこがれ航海記
2005.10.8〜10 体験 2005.10.12 記

写真14-01 大阪南港オズ岸壁に停泊中の帆船あこがれ
 海の上に田舎の分校が浮かんでいると思ってほしい。それは時速10キロぐらいでとことこ走る。
 大阪市の所有するセイル・トレーニング帆船「あこがれ」は、まあそんな雰囲気の施設だ。私が乗ったときは15人の乗組員のもとに、10歳の子供を含む15人の訓練生が訪れた。その関係は教師と生徒そのものだ。合わせて30人がリノリウム張りの食堂で同じ釜の飯を食べる。船の内外はあたたかい雰囲気の木と真鍮の調度にあふれ、よく掃除されているが、適度に狭く、あちこちすり減っている。注意書きと手作業で補修した箇所が多いのも特徴だ。天気がよければささやかな運動場でキャッチボールをすることもできるが、そのメインデッキは縦20歩・横12歩の広さしかない。
 小さな学校によく似ている。
 似ているのだが、一点だけ違う。この学校には高さ30メートルの鉄柱が立っていて、生徒たちはそれに登るために入学した。小学四年生を30メートルの鉄柱に登らせる学校は、あまり多くはないだろう。
 その学校に、二泊三日で行ってきた。

 SFには船がよく出てくる。海洋SFなら無論のこと、宇宙ものでも宇宙船が出てくるし、パニックものや軍事ものでも船は欠かせない。
 それを描こうとするなら、やはり航海をして船の経験値を高めねばならない。ホーンブロワーなんぞ読んでわかったつもりになるだけではだめなのだ。(俺だ俺)
 そこで実際に船に乗ることにした。
 場所や日程などを考えて体験航海を探し、「あこがれ」という船を見つけた。これは大阪市の外郭団体である財団法人大阪港開発技術協会の、マリーナ・帆船事業部(通称・セイル大阪)が運航している。選んだコースは週末の三日間を使う入門コース。料金は大人34000円、小中高生はもっと安い。――それにしても市で帆船を持っているなんて、大阪市ってところはたまに面白いことをするな。
 ともかく、申し込みをして大阪へ行った。当日はあいにくの雨で、集合場所の南港ATCというところはどんより暗かった。名港ガーデン埠頭を真似たようなショッピングセンターのある観光岸壁にも人影はほとんどなし。おかげで、念願の「あこがれ」の実物を目にしても、盛り上がらないことはなはだしい。写真写りも悪いし、残念。
 私と同様に待っていた二十代の訓練生の人がいて、まずまず親しく話をすることができたが、そのあとでぞろぞろ集まってきた他の参加者を見て仰天――ほとんどが小学生なのだ。
 大人げないのか? 俺。
 まあ私が大人げないのは今に始まったことではないのだが、結局、二十代が四人、三十代以上が二人で、残り九人の参加者が小中学生という構成になった。ボーイスカウト状態だ。
 時間の九時半になると係の人がやってきて、手続きは中でやるからと乗船を促した。親に手を振り嬉々としてタラップを渡る子供たちにまじって、デイパックとボストンバッグの大荷物で船に移る。
 荷物をキャビンに収めた後、メスルーム(食堂)でチーム分け。15人のトレーニー(訓練生のことをあこがれではそう呼ぶ)が五人ずつ、リゲル、カペラ、スピカの三班に割り振られる。私はスピカのメンバーで、小学生三人と五十代の男性一人と一緒になった。みんな元気。
 1チームに1人ずつ、船側からインストラクターがついてくれる。この人たちはボランティアの一般人で、あこがれの募集に応じて登録した。日当はもらえないがただで船に乗れる。およそ三ヶ月に一度、可動日を尋ねる書類が送られてくるので、答えて送り返すというシステム。
 以降は、スピカチーム五人の一員となり、ボランティアさんの指示を受けて行動した。
 航海が始まってからのことは多すぎて書ききれない。写真と模式図でもって、ダイジェストで紹介する。


 1.廊下  2.キャビン  3.メスルーム(食堂)  4.ギャレー(厨房)  5.食料庫  6.シャワー室、洗面所  7.階段
 8.メインデッキ  9.メインマストのロープ群  10.バウ(船首)デッキ
 11.メインマスト・トップボード  12.フォアマスト・トゥギャランヤード
 13.VHF船舶電話  14.エンジン/サイドスラスターコンソール  15.舵  16.レーダー画面  17.海図台


写真15-02 油圧水密扉
 まずは船内の説明をする。
 これは船内のメイン空間であるセカンドデッキに降りた時にくぐる扉。
 あこがれ船内は二枚の水密扉で前・中・後ろの三つのブロックに分けられている。非常時にはそれを閉じて浸水を防ぐ。操作は船長判断によるそうだ。しかしよく見ると下部のレールにボルトのストッパーがねじ込んであった。あれ、いざというときに抜くのを忘れなければいいけど。


写真15-03 廊下
 セカンドデッキの廊下。板壁とリノリウムの床が分校風。


写真15-04 ボンク(寝棚)
 居室にあるのは二段ベッドとロッカー。キャビンは五部屋あって、一度に最大40人が滞在できる。今回は15人だけだったのでスカスカ。
 寝心地は良好。初日は多少酔ったけれど一度も吐かず、二日目の夜にはゆりかごの揺れのようでかえって快適だった。(もちろん私が船酔いに強いのではなくて、海が凪いでいたおかげだ)
 コツというのはおこがましいが、揺れに対抗せず従う感じで、大げさなほど体を揺すっていると酔い止めになったようだ。三半規管の自己主張を黙らせておく、とでもいうか。


写真15-05 バイキング
 時間的にはちょっと飛ぶが、夕食時の光景。
 食事は半分バイキングで、スプーンですくえるものは食べ放題。固形物も余ったら早い者勝ちでもらえる。ただし他の人の取り分をちゃんと残すこと。
 皿はない。ステンレスのトレイに直接よそう、スペースシャトル風だ。


写真15-06 食堂風景
 食事時間は決まっているが、スケジュールがゆるいので、適当に来て各自勝手にいただきます。
 コック役の司厨長もいるけれど、ボランティア・スタッフとトレーニーも共同して作るので、飛びぬけて豪華な料理にはならない。でもこの船、労働が多くて腹が減る上、自販機も売店もないので、三食が美味いこと美味いこと。滞在すればしただけ健康になると保証する。
 またこの部屋は、集会所や娯楽室も兼ねている。ゲストにだけは、船尾にもうちょっと豪華な応接室がある。


写真15-07 ギャレー
 船上で火気使用が許されるのはデッキ上の船尾にあるタバコ缶の周辺だけ。台所といえどもそれは同様で、コンロは電気。
 トレーニーも調理と片付けをすることになっているので、ローテーションに従って私も三日目の朝食つくりを手伝った。料理係のボランティアお爺さんは実は大変な経歴の方で、昔、原子炉工学を専攻し、今では大学でコンピューター関係の非常勤講師をしているという。余暇を利用してあこがれのヌシに収まりかえっている。うらやましい人生。


写真15-08 食料庫
 廊下から階段を下りるとエンジンルームと食料庫がある。食料庫には食料がぎっしり。その奥には人が入れる冷蔵庫、さらにその奥に冷凍庫がある。


写真15-09 シャワー室
 あこがれのシャワールームは船首のここに男女二室ずつ、そして船尾の乗組員区画に一室。夕食後に好きなように入れる。
 真水が出るのだが、船のクルーは真水の使用量を大変気にして、毎朝報告してくれた。あこがれには4つの水タンクがあって53トンの水を積むことができる。今回は30人で一日2トン前後、すなわち一人70リットル弱の数字が出て、これならハワイへ行けますと太鼓判が押された。


写真15-10 洗濯機
 見てのとおり洗濯機。今回は使うヒマなし。


写真15-11 洗面所
 見てのとおり洗面所。蛇口は手を離すと水が止まる形式。


写真15-12 階段
 階段。あこがれの階段は水密扉のところで話した各区画に一箇所ずつ。余り広くない。
 ここからは船の上に出る。


写真15-13 メインデッキの様子
 メインデッキは船のエントランスホールであり、運動場であり、集会場であり、作業場であり、場合によっては昼寝場所や食堂にもなる。写真は朝の集合風景。
 裸足なのは、タンツーと称する甲板磨き行事をするからだ。これは大航海時代にさかのぼる帆船特有の古い習慣で、厳寒期だろうが酷暑の盛夏だろうが毎朝水夫がデッキに集い、ホーリーストーンなる石板でもってチークの床板を磨くというものだ。
 ではタンツー開始。
 海水のぶちまけられた床をワッショイ、ワッショイと声をかけて磨く。他は英国海軍ゆかりなのに、ここだけ妙に日本調だ。姿勢が悪いので腰と腕に来る。なかなか木の地肌が見えてこなくてつらい。
 しかし10月の航海を選んだのは正解で、暑くもなく寒くもなく、朝食前のほどよい運動になった。
 

写真15-14 夜のメインデッキ
 夕食後の空いた時間にも散策。あこがれは小さな船なので、船上の空間はこのメインデッキと前方のバウデッキをつなぐ一周の通路だけ。最後部は死角で落水時に危険なので立ち入り禁止。しかしそれも総勢30名の人間にとってはちょうどいい感じ。
 手すりにもたれて港を眺めたり、夜釣りをしたり――クルーの釣竿を分捕った小学四年生がサバを二匹も三匹も釣って、大騒ぎだった。


写真15-15 甲板の板
 オーク材と思っていたが、チーク材だった。
 よく磨かれ、歩かれているので、見た目よりもすべすべしている。厚さは五センチでその下に鋼のフロアがある。手すりもこの材で、手触りがいい。


写真15-16 ビレイピンとロープ
 帆船の象徴を三つ上げろと言われたら、帆・ロープ・そしてこのビレイピンだろう。ありとあらゆる可動部分をロープで引っ張りまわす帆船では、この突起物がなくてはならない。
 ビレイは巻き付けて止めるの意で、甲板周りの手すりのあちこちに穴があり、ビレイピンが突っ込まれ、ロープが巻きつけられている。ロープ作業は一にビレイピンからロープを外すことから始まり、ビレイしたのちコイルアップ(余った長さを巻き取ってぶら下げる)して終わる。
 ビレイピン自体が穴から抜ける構造なのは、急ぐ時にピンを抜くことで一気にロープを取り外すためだが、今回はそのような操作は見かけなかった。


写真15-17 ビレイピン
 真鍮製でずっしりと重い。そのむかし英国海軍の帆船では、しばしば反乱者たちの武器や折檻のための道具として使われたという。こんなもんで殴られたら骨ぐらい軽く折れそうだ。


写真15-18 メインスル展帆
 これは二日目の午前の写真。写っているのは三本のマストのうちの中央、メインマスト。二番目に大きなメインスル(メインセイル)を開くため、ガスケットという固縛ロープをほどいているところだ。紺の服のクルーとオレンジの服のボランティアが、トレーニーたちと一緒に作業している。
 あこがれは三檣トップスルスクーナーという船に分類され、帆走時は主に三角形の縦帆に頼る。ゲーム・大航海時代をやった人なら知っているだろうが、縦帆は船の向きがころころ変わる近海航行で使われる、操作の簡便な帆だ。
 しかしその縦帆にしても開くためにはかなりの手間がかかる。まず写真のようにマストに登ってガスケットを解く。それからマスト・オフィサーなる号令係のもとトレーニー全員がデッキに集合し、ロープを引く係と伸ばす係に別れ、ブーム(横棒)の位置あわせ、帆の引き出し、ブームの位置戻し、帆をピンと張る、などの行程をワンステップずつこなしていく。
 一枚の帆に付き、こんな作業がいるのだ。だから今回の航海ではあこがれの総帆13枚を開くことはとてもできず、最大時でもメインスル、メインガフトプスル、インナージブ、アウタージブの4枚を開くにとどまった。


写真15-19 救助艇
 三日目に救助艇をダビットで振り出す作業を見学できた。一ヶ月に一度しかない珍しいテストだという。
 これは脱出時に乗るものではなくて、海に落ちた人を拾い上げるためのボート。脱出用には、20人乗りの自動展張式ライフラフト(ゴムいかだ)が左右4基ずつ設置してある。


写真15-20 バウデッキから紀伊半島を望む
 あこがれは初日に大阪南港から徳島沖へ、二日目に徳島沖から和歌山の田倉崎へと航海し、三日目にそこから南港に戻った。ずっと現場の判断だ。現場の判断というと大げさだが、事前に予定を立てていないということ。
 実は申し込み時にもらったパンフレットに目的地が書いておらず、一種のミステリーツアーなのかと思っていたのだが、そうではなくて、当日にならないと目的地の決めようがないということだった。なぜか。遅いからだ。あこがれは帆船だ。風向きの影響をもろに受ける。いや実を言うとディーゼルエンジンがあって、航海の大部分はむしろエンジンで走っているのだが、それでも遅い。時速10キロいくかいかないかだ。
 そんなわけで、あこがれの行き先はその日の朝に、船長が天気図をにらんで決める。朝食後の集会でそれが発表され、トレーニーたちは一喜一憂する。
 船長の判断は見事なもので、三日目の朝に私が大阪への到着予定時刻を聞いたところ、午後三時半、という答えが返ってきた。そして実際に到着したのも、三時半だった。時速10キロの船を、うまく走らせるものだ。(や、途中で時間つぶしをしたりしたのかもしれないけど)


写真15-21 アウタージブ・セイルを下ろす
 あこがれの船首に四枚ある帆のうちの一枚。大勢でロープを引いて展帆・畳帆する。
 あこがれは、ぶっちゃけて言ってしまうと、三日程度の航海では帆船になりきらない。いいとこ機帆船だ。移動時の大部分はディーゼルを使っているし、帆を四枚張った状態でも2ノットも出なかった。あこがれが本物の帆船になるのは遠洋航海に出て総帆を張ったとき。
 しかし少ない枚数でも、とりあえず帆の張り方のイロハのイぐらいはわかる。以下に、多分一番簡単であろう、アウタージブを張るときの詳細な手順を書く。
 まずブリッジにいる船長が「セット・アウタージブ」を命じ、デッキにいるマスト・オフィサー(以下オフィサー)がそれを口伝えで叫び、トレーニーが「セット・アウタージブ!」と復唱する。
 アウタージブを上げるためのロープを引くので、そのロープに人員をつける。また、そうすれば当然、ジブを下げるためのロープが伸びてしまうので、これを適宜繰り出すための人員もつける。また、逆三角形をしたジブセイルの、下の角をピンと張らせるロープにも人員をつける。計三箇所だ。そのためにオフィサーが叫ぶ。
「コントロール・ダウンホール、シート。スタンバイ・ハリヤード」
 ダウンホールが下ろし索。シートが帆足索。ハリヤードが揚げ索。この命令が出るとハリヤードに五、六人がつき、ダウンホールとシートの繰り出しに一人ずつがつく。今回は素人集団なので正規クルーもそばで監督につく。
 それぞれのポジションでロープを握って引く準備ができると、トレーニーがオフィサーに叫び返す。
「スタンバイ・ハリヤード」
「スタンバイ・シート」
「コントロール・ダウンホール」
 その一言ごとにオフィサーが聴取したという印に復唱する。
 それから、引っ張れの合図だ。
「コントロール・ダウンホール、ホールアウェイ・ハリヤード、シート!」
 Haul awayがロープ引け。これに合わせて軍手をはめたトレーニーが掛け声をかけてロープを引く。
「ツー・シックス・ヒーヴ! ツー・シックス・ヒーヴ!」
 最初は恥ずかしくて声が小さいのだが、慣れると大声で叫ぶようになる。
 2-6 Heaveは、これも昔の海軍用語に由来する。トラファルガー海戦なんぞをやっていた木造帆船の時代、軍艦は船腹にたくさんの大砲を持っていた。当時の大砲は先込め式で、車輪がついていて、発射すると反動で後ろへ下がる。下がるたびに大砲に取り付いた砲手たちが次弾の用意をし、再び砲門へ押し出す。砲手たちには一から六まで番号が割り振られ、それぞれ役割が決まっている。
 その二番と六番の役割が、滑車にかかったロープを引いて大砲を押し出すことだった、というのだ。士官が砲手たちに命じた「二番六番、引け!」がツー・シックス・ヒーヴ。
 手元のスティーヴン・ビースティーの「大帆船」では若干記述が違って、六番はパウダーモンキーと称する火薬運び少年だとある。だからこの掛け声にもいろいろなルーツや流派があるのだろう。
 それはさておき、二番と六番ががんばってロープを引くと次第に帆があがり、やがていっぱいに張る。するとオフィサーが叫ぶ。
「ホールド・オン、ハリヤード!」
 引き方一時停止の命令だ。帆を検分して広がり方が十分であると判断したならば、続けて、
「ビレイ・ハリヤード、ダウンホール!」
 の指示が出る。ロープをビレイピンに巻きつけよとの指示だ。引き方の先頭がそれを受け持ち、ビレイピンに三回巡らせて固定した後、「ビレイ・ハリヤード!」「ビレイ・ダウンホール!」で答える。
 あとはシートを少し引いて帆のたるみを除く。それで展帆は終了。オフィサーがブリッジへ向かって報告。
「セット・アウタージブ・サー」
 了解した船長が、次の「セット・インナージブ」を命じたり、あるいは、もういいからその辺に垂れているロープをしまえということで「コイルアップ・ギア」を命じるというわけだ。
 ではここで、セイル作業の動画をひとつ。(AVIファイル、5.1MB)


写真15-22 バウ・スプリットに出る
 これはヤード渡りをやったあとの写真。死ぬほど高いところから降りてきたところなので、この程度の場所は怖くもなんともない。小さな子供まで船の一番先へいって、タイタニックごっこをしてはしゃぐ。風が当たって実に気持ちいい。


写真15-23 六分儀
 三日目に、航海術の授業も行われた(エンジンルーム見学がこれとかち合ったので、見そびれてしまった)地文航法、天文航法と実地に習う。初めて六分儀にさわることができて嬉しかったが、あいにくの曇りで太陽が出ず、陸地の鉄塔をちょろっと見ただけ……。
 天測について語りだすと本が一冊書けそうなので、まあやめておく。


写真15-24 安全ベルト
 さて……ここからがハイライトだぞ。よろしいか。
 私がもっとも期待していたのが、マスト登り。帆船小説など読んでいると、五十ヤード、六十ヤードなどというバカ高いマストに軽々と登る水夫たちが登場する。あの気持ちを知りたかった。そのために傷害保険にまで入った。
 あこがれでは、初日にまず、メインマストのトップボードに登らせてくれることになった。甲板からの高さは十六メートル、側面図ではマストの真ん中あたりに見える見張り台のことだ。準備としてポケットの中身を空にし、ヘルメットをかぶり、靴紐を締めなおして、安全ベルトをつける。
 ベルトは高所作業用のごついもので、まず不安はない。


写真15-25 ラットラインをトップボードへ
 これがトップボードだ。
 はしごではなく、マストから舷側へ張り渡されたワイヤーのシュラウド(静索)が縄梯子になっている。これをラットラインと称する。シュラウドもラットラインも丈夫で切れる心配は感じなかったが、登り始めるとそれ自体がけっこう揺れた。この時の風速はわずか7、8メートルだったから、嵐でも来たら危険を感じると思う。
 驚いたのはこのことだ。
「えー、安全ベルトをつけましたね。でもこれは登るまで使いません。トップボードについたらステーにかけてください」
 おい……。
 十六メートルまで素手。しかも最後の二メートルはオーバーハングになっている。てっきり、一段ずつ安全ベルトをかけ直していくのかと思ったら。
 しかし小学生たちはそんなことに頓着せずひょいひょい登っていき、高い怖いと嬉しそうに叫んでいる。引き下がれるわけがないので、平気そうな顔をして登りに挑んだ。


写真15-26 トップボード着
 で、到着。顔が引きつっているが、実を言うとこのときはほとんど怖くなかった。怖さが、十分抑制できるレベルだったという感覚。


写真15-27 トップボードから下を見る
 見下ろすとこんな感じ。フックもかけていることだし、十分覗きこむ余裕がある。
 だが――。


写真15-28 フォアマスト
 二日目はヤード渡り、すなわちマストに掛け渡された横棒に出るのだ。前夜にヤードのどこいらへんまで出て行くかを聞かれて、私はつい調子に乗り、トゥギャランヤードの端まで行くと言ってしまった。
 えー、トゥギャランというのは、一番上のヤードだ。海面から、大体二十三メートルある。
 実に馬鹿なことを言った。
 当日朝、マストを見上げて不安になる。トップボードよりかなり高いし、風も強い。大丈夫か俺。しかもヤードの端ということは、一番手だということだ。
 クルーの合図で、登る。
 トップボードまではいい。オーバーハングもどうということなく越えた。しかし、その先がいけない。最初は三メートルもあったラットラインの幅が五十センチまで縮まり、マスト自体も細くなる。揺れは倍増。風も強まる。二番目のトップヤードを越えたあたりから膝がかくかく笑い出した。いま自分は握力だけで生きているのだなと考えると、途端に手のひらにじっとり汗が出てくる。
 ヤードにはすでにクルーの女の子が出ていて、平然と励ましてくれる。はいこのロープをまたいで、ワイヤーに足を乗せて、ステーにつかまって、端まで行ってくださいね。
 端までかよ。いや自分で行くって言ったんだけど。恨むぞ。


写真15-29 トゥギャランヤードから見下ろす
 写真27と比べてもらいたい。
 ここからは安全ベルトをかけたが、そんなものなんの慰めにもならなかった。だって、もし足を踏み外して宙吊りになったら、戻るのも自力なんだぞ。自慢にもならないが最後に懸垂をやったのは何年も前だ。最悪の場合は海上保安庁かどこかに頼んでヘリに吊り下げてもらうかも。そうなったら恥もいいところ。
 いや、そんなことを考える余裕すらなくて、ただひたすら足の下にワイヤー一本以外何もないということが怖かった。手が離れないんだよ、ステーから。中腰でヤードに抱きついて、はるか下の甲板から「かっこ悪いぞー」などとやじられる始末。うるさいなんとでも言え、これは生きるための知恵だ。

 
写真15-30 ひきつり男
 実はこれ、一番まともな顔の写真だ。他の数枚はもう、恐怖でいっちゃって見られたものじゃなかった。隣にいた男性には「顔、顔」と笑われるし。
 しかし、これでも登って数分後の、慣れたころの写真。だってヤードへ出た直後はカメラを取り出すことなんか考えられなかったからな。ましてや腕を伸ばして自分を撮ることなんか。
 わずかに慣れてくると、周囲を見回すことができて、景色の広さが目に入った。うん、絶景。地球は丸い。海はでかい。いや、あまり事細かに景色を味わう余裕はなかったけどさ。
 舳先から記念撮影してもらって、ようやく降りる。幸い、下りも一番手だった。最後まで待たされたら泣きが入っていたかもしれない。
 しかし小学生たちはこの高さでも平気なんだよな。もう感心を通り越してあきれた。


写真15-31 真っ赤
 必死でしがみついていましたから。


写真15-32 ブリッジ(ホイールハウス)
 航海中はブリッジへの出入りがほとんど自由。「入りまーす」の一言で上がれる。
 あこがれのブリッジには当直が常時二人いるのだが、航行に携わっているのはその二人だけ。それも、二人とも前を見ていないという瞬間がけっこうあった。これは驚き。以前、護衛艦に乗ったときは、十人近い人間が艦の全周に目を配っていた。
 しかしあこがれにはレーダーがあるし、スピードもそれほど出ない。進路を横切るような船があれば意識しておくので、一分や二分目を離しても大丈夫ということらしかった。
 それと、今まで触れてこなかったが、二十代の若い女性クルーがシフトに組み込まれてきちんと動いていた。おかげで船の雰囲気が実に明るく感じた。とてもいい傾向だと思う。


写真15-33 船舶電話とエンジンコンソール
 VHF電話はフェイルセーフとして左右舷に一台ずつ。写真のレバー・ダイヤル・メーターなどのある操作盤がエンジンと発電のコントロール。主機ディーゼルが一基あって、一軸可変ピッチスクリューを装備。船首部喫水線下を左右に貫通する電動バウスラスターが一基。そして他に発電用ディーゼルが二基ある。船内で電気を使うので、停泊時でも最低一基のディーゼルが動いている。まったく無音の帆走はできないとのことで、やや残念。


写真15-34 舵
 操舵機。上の360度ダイヤルで絶対方位を指定することもできるし、真ん中のハンドルで直接舵を切ることもできる。のだと思う。舵を操作するときは必ず口に出し、もう一人の当直と確かめ合う。「スターボード20にして」「スターボード20にしました」
 あこがれには、別にメインデッキ後方のヘルムにも昔ながらの舵輪があって、そこで操舵することもできる。実際にやらせてもらったが、舵の操作自体は難しくないものの、風と波の関係で船のほうが想像以上に左右にふらつき、結果として、こまめに当て舵をしなければならないという感覚だった。


写真15-35 レーダー画面
 写真29にあった平たい網の中の白い横棒が、レーダーアンテナ。あれの情報がここに表示される。画面は南北固定のノースアップ方式で、中心に自船が位置し、白いラインが現在の向き。黄色が現在見えている反射物で、その影の水色は、過去の反射波の残像だ。速度の速い移動物は水色の線を長く引くのでよく目立つ。陸地や陸標も見られる。素人目にも非常に分かりやすい。
 画像は初日、南港を出航した直後。


写真15-36 レーダー画面その2
 参考までにもう一枚レーダー画面を。これはどこだかわかるかな。
 正解はここ


写真15-37 船舶電話その2
 右舷側VHF電話。航海中はずっと受信オンで、声が流れ出していた。早口すぎて意味はわからなかったけれど。
 船のクルーはいつでもどこでも右舷と左舷をスターボード、ポートと言う。
「ちょっとスターボード見てみて」
「狭いよ、もっとポート寄って」


写真15-39 計器類
 左から風向計、風速計、船速計、舵角計、時計、傾斜計。
 風速10メートルは換算するとざっくり20ノット、覚えておこう。時計は秒の単位まで正確。傾斜計はスライド針で最大角を記録できる仕組みで、メーターの縁にあこがれが過去体験した最大ロール角がさり気なく貼ってある。左舷に五十三度、右舷に四十四度ですって、奥さん。


写真15-40 海図台
 チャート台。奥に見える画面の左側が、最強の航法機器・GPSナビだ。これのおかげで、この船に積んであったロランは追っ払われた。右の画面は測深計。映っているのは32.7メートル、大阪湾は概して浅い。
 手前の地図が海図。海図上には船長が立てた計画に沿って予定航路が書かれている。当直員は一定時間ごとにGPSの経緯度数字を読み、ペケ印で海図に描き込んでいく。
 試しに三等航海士の当直員に聞いてみた。
「もし今レーダーやGPSが全部なくなっても、航海できますか」
「そりゃあもちろんですよ」
 聞くだけ愚かだったか。


写真15-41 夜のブリッジ
 もちろんブリッジは停泊時でも24時間体制で、誰かしら詰めている。

 今まで数字にこだわりたくなくてわざと黙っていたけど、そろそろあこがれの主要目を書いておこうか。あこがれ公式サイトより転載。

起工 1992年6月19日
進水 1992年11月24日
竣工 1993年3月31日
船種 帆船
用途 国際航海に従事する練習船
船型 全通平甲板型
帆装形式 3本マストトップスルスクーナー
主要寸法
 全長
 垂線間長
 型幅
 型深
 満載吃水
 
52.16m バウスプリットを含む
36.00m
8.60m
5.90m 上甲板まで
4.50m
総トン数 362トン(国際)
航海速度 8.5ノット
主機関 4サイクルディーゼル
最大出力 320PS×1基
プロペラ フェザーリング式可変ピッチプロペラ
搭載人員
 乗組員
 訓練生等
 
11名
40名(ただし国内での1日コースの場合は60名)
帆枚数/帆面積
 横帆
 縦帆
 総帆
通常セットしている帆の枚数と面積
 3枚/約215u
 10枚/約568u
 13枚/約783u
マスト高さ(最高) 約30m 上甲板上

 362総トン。わりと小さい。大型観光バスが10トン、700系新幹線16両編成が空席で630トンだから、両者の間ぐらい。護衛艦の数千トンやフェリーの一万トンに比べるとずっと小さい。
 速度は遅い。8.5ノットとは時速約16キロだ。でもこれは移動する船ではなく航海をする船だからかまわない。

 三日の航海の間にみんなと仲良くなった。言い忘れていたがこの船ではクルーもトレーニーもニックネームで呼び合う。私は今回、参加理由と職業が切り離せなかったので、ちょっと嫌味かなとも思ったがおがわいっすいを名乗っていた。みんなからいっすいいっすいと呼び捨て。
 陸に上がる時は、意外にもちゃんと寂しかった。それに船酔い対策の体揺らしはまだ(二日後の今も)残っていて、なんだか体がふらふらする。
 三日間とても楽しかったけど、同時に感じたのは、帆船は奥が深くてまだまだ端っこをかじっただけだということ。この船にもう一度乗るのもいいけれど、次はさらに純粋に風力を求めて、ヨットなど狙ってもいいかなと思っている。
 


※付記
あこがれの重さに使った「総トン」という単位は、船を密閉体に見立てた場合の容積を基に算出する数字なので、バスや新幹線と単純に比較はできないというご指摘を受けました。1総トンは約6立方メートル――わかりにくいから全部排水量にしてくれよ、もう。

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