Rep.1 朝日航洋取材 西暦2000年2月16日
今回の取材は、定期路線会社以外では国内最大手の総合航空企業、朝日航洋である。
駆け出しの私にはコネも金もない。取材はいつも当たって砕けろ。砕ける場合もあるが、あたってみなけりゃ何もわからない。前々日の月曜日、まずはストレートに、名古屋空港にある朝日航洋の名古屋事務所に電話を入れてみる。
ヘリコプターの取材をしたいと言うと、スムーズに承諾がもらえた。この段階で断られたことはない。問題は会ってからである。
中一日置いて本日水曜、起きてびっくり。どこだここは、新潟か、ツングースか? 呆れるほどの豪雪である。
濃尾平野の常識をくつがえす30センチはあろうかという積雪に、一度は出発を見合わせようかと思うが、考え直す。雪なら有視界飛行に頼るヘリは飛ばないはずで、ならばむこうは暇なんじゃないだろうか。取材日和だ。
十年選手の愛馬コルサを駆って、出撃。
この日の午前中、尾張地方は尋常ならぬ積雪で、それこそ特配に頼らねばならないほどの交通マヒ状態にあったが、そこはジモピの強みを見せて、裏道を頼りに突き進む。空港は報道にあった通り、ほとんど閉鎖状態のようだ。エプロンに並んだ飛行機の翼から、グランドクルーが総出で雪降ろしをしている。
定刻1時よりやや早く、国内線ビルと国際線ビルの間にある第三事務所棟に、到着した。
迎えてくださったのは営業一部のK氏、40前後の温厚そうな方である。すぐあとで、陸上自衛隊のヘリパイOBであると聞いて、意外に思う。名刺交換の後、天気の話を皮きりに、取材目的をまとめたレジュメを見せて、趣旨を説明する。
脱線するが、ここまでのいわゆる外交的プロトコルというやつを確立するまでが、今までの私にとっては大難事だった。というか今でも確立はしていない。いないが前よりマシである。
小川一水生まれて初めての取材は、なんと警察署への直接攻撃だった。あれは大学2年かそこらの頃か。猟銃の扱いについて知りたくて、アポもなしに地元警察署へ乗りこんだのである。
格好はジーンズにTシャツ、ナップザック。紹介もなければ名刺もない。社会的に丸裸の状態である。それでのこのこ防犯課へ行って、すみません猟友会ってどうやったら入れるんですかと聞いたのだから――誰がまともに相手をするか。ほとんど不審人物の扱いで、けんもほろろに追い返された。
今では多少マシになって、少なくとも玄関先で追い返されるようなことはなくなった。すでに出ている単行本を物証として使うという手を編み出したからである。あとスーツ系の服を着るとか。成人式で使ったあと、捨てないでよかった。
元の話に戻る。
本日の取材は、ヘリコプターもの小説のネタ集め。まずはとにかく口を動かして、沈黙ができないように流れを作る。レジュメは話が止まった時に見る程度。
K氏は元からの営業さんではなくパイロット上がりの方なので、会社の話とヘリの話が一度にできて話しやすい。バブル崩壊以来ヘリは減っている、当然パイロットも厳しい、農薬散布などの仕事も減少傾向だから、次の見とおしはEMSにあるか、などという話題。
EMSとは、エマージェンシー・メディカル・サービス、つまり緊急医療輸送のことである。ドイツなどでは国土を50キロ四方のエリアにしきってヘリのステーションを置き、全国どこでも15分以内に医療ヘリが駆けつけるシステムを作っているが、日本は世界2位のヘリ大国のくせにこの分野では情けないほど立ち遅れている。
近年厚生省がやっと重い腰を上げて制度作りに取り掛かったので、近々日本でも、ヘリによる派遣医療体制が整うだろう。
――と書くと、そんなことはとっくに日本でもやってるじゃないかというツッコミが聞こえそうだが、いや、やっていない。離島や災害時に出てくるヘリは自衛隊が親切でやっているサービスだし、山岳救難は警察とそれから、東邦航空という私企業の採算度外視の事業である。救急車代わりの専業医療ヘリというものは、一部の病院の私有機を除いて、日本に存在しなかったのだ。
何が悪いかというと、ご想像のとおり法律が悪い。航空法である。こいつはもともと定期便の固定翼機に合わせて作られたものだから、勝手に飛ぶのが身上のヘリにとっては著しく都合が悪くできている。K氏いわく「ヘリは航空法の例外に頼って生き延びてるようなものだから」
そこから話は、航空法とヘリのあわいにできた不思議な産物、場外離着陸場のことへと移った。
これが今回の取材の主目的だった。
場外に場があるのだから、思えば不思議な表現ではある。
その意味するところは、飛行場以外の離着陸場、ということである。
ヘリとは何か。端的に言えば、どこにでも降りられてどこからでも飛べる代物である。機体の方はそうできているが、法律はそれを許さない。回転ギロチンみたいなメインローターと尻ローターをぶんぶん振りまわすヘリが、そこらの道路に下りてきたら危ないどころではないから、もっともと言えばもっともである。しかし過保護のママじゃあるまいし、十把ひとからげにやめなさいと言うのも芸がない。それではヘリを飛ばす意味がない。
その辺のアレがコレしてできた制度が場外なんたらである。
農薬散布の場合は田んぼのあぜ道、鉄塔や山小屋などの山岳建設の場合は山の尾根、そういうちょっととんでもないところでヘリを運用する時に、この場外を申請するのである。むろん、その場で電話で頼んでも許可は降りない。しかるべき書類と図面を整えて、地方航空局長や空港長にそれを提出して、初めてそこを場外として使用できる。
それがまたおそろしく煩雑なのである。
今回はK氏のご厚意で申請書類一式の写しを頂くことができたが、これが一件につき約10枚ある。離着陸の日時、場所、理由、飛行概要などから当日の要員に至るまでを書きこまなければいけない。土地の使用許諾もとらなければいけない。使うヘリの種類を書かなければいけない。さらに、詳しい地図と現場の見取り図、それも進入進出経路まで書きこんだ三次元の見取り図を、手書きで書いて添える必要がある。しかもこれでたった一件なのである。あちこち飛びまわる場合はその場所ごとに書類をそろえなければいけない。
しかもしかも、これだけ苦労して許可をとった場外を使えるのはたった3ヶ月。季節が替わるごとに更新しなければいけないのである。朝日航洋の場合、常時使用可能にしている場外は全国で約1500ヶ所。それだけの場所について花が咲き葉が落ちるたびに書類を出し、なおかつ数千ヶ所に及ぶ臨時の場外についての申請をおこなうめんどくささと言ったら嗚呼もう! 書いてるだけでうっとうしい。いや、他人事だが。
そういうわけで、おっと遅刻したヘリでも呼ぶかと庭先にエアタクシーを呼ぶことは、今の日本ではできない。この辺の鬱憤はまた作品でお目にかける。
今までのことは地上での苦労、いわば縁の下の力持ちについての話であって、取材の目的は無論それだけではなかった。第一肝心のヘリの実物を見ていない。
しかし、飛びこみでいきなりそこまで見せてもらうことは、さすがにできなかった。この辺が私のスキルの限界である。
しかしK氏は、近いうちに、実機まわりの話と現場を教えてくれると言ってくださった。大変にありがたいことである。この場を借りて朝日航洋とK氏にお礼を言わせていただく。ふふふ、次回が楽しみである。
最後にオチを。
取材を終えて車に戻って、キーをひねった。
――エンジンがかからない。バッテリーが上がったのだ。ヘッドライトを消し忘れていたのである。マジで実話で本当の話である。
とりあえず笑った。困った時は笑うに限る。雪はまだしんしんと降っている。手近に知り合いもいない。ハイサンキューのJAFにTELってもつながらない。PHSからでは呼べないのである。
仕方がないから、濡れねずみになりながら車を押した。空港の構内は広い。出ても近くにガススタがあるかどうか分からない。他の車は無情に走り去るばかり。神も仏もないものか。また笑う。
みじめな姿をさらしていたら、止まって助けてくれた人がいた。乗っている車がお客の車だからというので、わざわざ近くの会社まで行って自前の車を持ってきてくれるほど親切な人物だった。ブースターケーブルをつなぐと一発でエンジンがかかる。拝んだ拝んだ。それはもう力いっぱい。
人の情けに触れた一日であった。――ありきたりなまとめ方って言うな! ほんとに嬉しかったんだから!
Rep.2 朝日航洋取材 機体・飛行編 西暦2000年2月25日
さあてお立会い、前回に引き続き、はや二度目の朝日航洋・名古屋空港取材である。
今回はまず、前回のK氏のお引き合わせで、パイロットのS氏にインタビューさせていただいた。その後はハンガーへ回って庫内見学、整備員の方々にインタビュー、さらに運行管理室で管理者の方とお話……それはもう、いいのかこんなに? というほど盛りだくさんで、こちらの頭が追いつかなかったぐらいである。
話のほうも、興味深いものばかりで困った。あまり使えるものが多すぎて、ここに書けないのである。その辺のことは作品の中で披露するとして……。
前回お茶を濁した写真の方を、今回はたっぷりとご覧に入れよう。
朝日航洋の名古屋空港ハンガーは、空港内建物地域の最北端に、新日本ヘリコプターと軒を並べている。
中に入ると――おお、いた! いきなりニ機のヘリがくつわを並べている。しかも一機は、柔肌もあらわに整備員の方に可愛がられている最中だった。
左はベル206・ジェットレンジャー、5人乗りの小型機。右はアエロスパシアルAS355エキュレイユ2、6人乗りの機体である。頭の上を飛んでいる時には大きさも形も区別のつくものではないが、こうして並べると違いがよくお分かりいただけると思う。けっこう差がある。206の方はここ20年のタイトル保持者といった格の、ポピュラーなヘリだから、あなたもきっと目にしている。
左は単発、右は双発。エンジンの数はパワーとも関係するが、ヘリの場合、信頼性を確保するための双発化というものがある。たいして滑空できないヘリはエンジンが止まったらほとんど終わりである。エンジンが二つあって、片肺でも飛行できれば、事故の危険は少なくなる。355の双発化はまさにそのためで、出力は、同じ系統で一発の350よりむしろ減っている。
そして、両者ともタービンエンジン。固定翼機――セスナやパイパーに比べて、ヘリはタービン機が多い。タービンとはなんぞやというエンジン関係のうんちくを傾けてしまうと、写真を載せるどころではなくなるのでここでは省くが、要するに大きさのわりに出力の大きい高級なエンジン、あたりの理解でいいと思う。
ヘリは基本的に無理をしている。空気より重いものをごぼう抜きに浮かび上がらせようというのだから、これは相当な悪知恵を働かせる必要がある。
悪知恵、そのいち。重いタイヤをとっぱらう。簡単なそりで済ませてしまうことにする。むろんそれでは地上に降りたとき動かすことができない。引きずるときだけタイヤをつけるのである。下がその様子。ジャッキつきのタイヤをかます。もっと軽いヘリでは、てこでタイヤを履かせるしくみになっている。
悪知恵、そのに。椅子もなし。パイロットシートは公園のベンチより愛想のないつくりだった。後で座席カバーがあるのを発見したが。
悪知恵、そのさん。薄着で済ませる。ヘリの外板はほとんどFRPである。こうして外した部品が並べられていると、プラモのようだ。
プロの仕事場。お父さんのメガネはどこだ、などと額にひっかけたメガネを探す心配もない。
テールローターのピッチ機構。このピッチというやつがヘリを理解する上でのキモである。翼を寝かせる角度を変えて、回転翼面の推力を調節するのだ。メインローターではこのピッチを変えるロッドがシャフトの外にあるが、テールローターでは同軸の中に入っている。翼面を傾けるサイクリックピッチ操作が、テールでは必要ないためだろう、と思う。素人考えだが。
さすがに、ビス一本に命がかかっている整備作業の最中だから、整備員の方々も周囲にオーラを放出していて、話しかける隙がなかった。
こちらは電源開発のヘリ、アエロスパシアルAS350。上の355の単発バージョン、というかこっちが原型か。比較のため左右反転したが、テールの付け根の張り出しで見分けることができる。――って、地上から見たらそんなもの分からないが。
ベル206の後を継ぐ、小型単発タービン機の傑作。
写真はこれでおしまい。
さて、もう少し書いておこう。飛行機が飛ぶときは、管制にフライトプランというものを提出しなければいけない。これは知っている人も多いと思う。
しかし、それはいったいいかなるものか。名前は聞けど姿は知らず、パップラドンカルメのようである。
今回、朝日航洋の運行管理の方に、それを生で演じていただいた。演じて、というのは、フライトプランというものが、書式こそあるものの、口頭でやってしまうものだったからである。
ここでそれを公開しよう。
今からパイロットの桜田美鳥が、名古屋空港から犬山の場外離着陸へ、岩倉を経由して飛行する。機種は、真っ赤な特配カラーのAS355、レジスター(登録記号)はJA99T9。昼飯を食べ終わったところであり、15分ほどの飛行になる予定である。
運行管理は特配9班の八橋鳳一。おれも乗せろと文句をつける鳳一に、男なんだから歩いてきなさいよとかなんとか無茶を言って、美鳥はヘリに乗りこむ。同乗者は課長の和光とアレのシンさんのふたり。しぶしぶ鳳一は航空局に連絡するのである。これは電話でもいい。
「フライトプランのファイルお願いします。
識別がJAの99タンゴ9。
方式がV。
種類がG。
タイプがASの55。
乱気流区分はリマ。
無線設備はSDFOV、トランスポンダはチャーリー。
出発飛行場はRJNN。
移動開始イチサンマルマル。
速度ノットで100ノット。
高度VFR。
経路が岩倉。
目的飛行場フォーゼット。
所用時間15分。
オペレーターがタンゴタンゴナイナー。
リマークミッションはPF。
デスティネーションは愛知県犬山。
燃料搭載量は1時間20分。
POB2名。
救命無線機エルバ。
カラーがレッド。
キャプテンはマイク・サクラダでお願いします。
くそったれ!」
こんな按配だ。
方式VはVFRのV。乱気流区分は後方にまく風の形か。高度VFRは有視界のこと。目的飛行場のフォーゼットはZZZZのことで、場外をさす。オペレーターは運行管理の、特配チーム9。リマークミッションは飛行目的で、PFはプライベートフェリーである。POBはパッセンジャーオンボード。だいたいそんな見当である。
丘珠飛行場のヘリパイ
佐々木さんのページでも触れられているが、一回の飛行が終わると、終了申請を30分以内に出させねばならない。いや、正確には燃料搭載量がゼロになる時間から30分か。これを怠ると、遭難の疑いありとして通信捜索が始まる。逆に言うとフライトプランはそれだけ重要なものなのだ。
まだまだいろいろなことを知ることができたのだが、今日はここまでにしたい。
最後に改めて、朝日航洋のK氏、S氏、整備員の方々、運行管理の方に感謝の意を表する。ありがとうございました。