Rep.5 サンタガータの驚愕
ランボルギーニ・カウンタック見分録
西暦2000年12月取材
スーパーカーである。
人によって「スーパーカー」はいろいろなのだとか、そもそもカウンタックがいまさらスーパーと言えるのかとかいう野次はやめてもらいたい。私にとっては「スーパーカー」は定冠詞のTheなどつかなくてもカウンタックであり、「スーパー」という言葉の意味すらこの車で覚えた。どこでそこまですりこまれたのかはさだかではないが、とにかく好きなんだから仕方ない。
拙作「こちら郵政省特配課」に主役メカとして登場する自動車である。今回は、それのお話。
作品に出す以上は知っていなければならない――とは言っても、H−Uロケットなどはそうそう近場に転がっているものでもないから、実物を見たことはない。
カウンタックもかなり希少価値の高い車なのだが、家の近所の外車ディーラーで、偶然実物を見かけてしまった。見た以上は突撃しなければいけない。牛か私は。
私が突撃しなくても、本国イタリアではこの車は一度ならず牛の体当たりを受けているのではないか。イメージカラーは赤である。そしていかにも攻撃的なスタイルをしている。
あいにくと言うか、今回見物できたのは白のカウンタックだったが、なんだと思うなかれ、皮が白でも中が赤だった。その赤いシートは本革である。ああややこしい。
とにもかくにも、ディーラーの方の好意でその白で赤のカウンタックをつぶさに見ることができたので、ここに紹介する。なお、逸話や数値は、ネコ・パブリッシング社のワールド・カー・ガイド19、「ランボルギーニ」より引用。
今回のカウンタックは、正式名称を「ランボルギーニ カウンタック 5000クワトロバルボーレ」という。
解剖する。ランボルギーニは社名で、イタリアのフェルッチオ・ランボルギーニという人が興した会社のことである。この人はエアコンやトラクターを作る会社の社長だったが、車好きでフェラーリを持っていた。
ある時、そのフェラーリのクラッチが故障する。フェルッチオはフェラーリ社にパーツを請求したが、送られてきたのはなんと、フェルッチオの会社でトラクターに使っているのと同じ部品で、それに十倍の値段がついていた。フェルッチオは驚き、フェラーリ社に対して抗議したのだが、鼻であしらわれてしまう。
怒り心頭に発したフェルッチオは、自分でフェラーリを超える車を作ろうと決心する。そうして生まれた数々の車の頂点が、カウンタックである。
ランボルギーニ社は、長靴型をしたイタリアの付け根近く、ボローニャの北にあるサンタガータという町に本拠地を置いていた。カウンタックという名は、ピエモンテ地方の方言で驚きを表す言葉だという。
らしいのだが、いま地図を見ても、サンタガータは載っていない。オッザーノ・デッレミリアとか、ポッジョ・レナティコとか、聞いたこともない村名まで載っている地図なのに、ない。サンタガータはそうとう小さな村なのだろう。そんな小村の名を世界に知らしめたのだから、カウンタックの実力推して知るべしである。
フェラーリを越えようというのだから、できたものは半端ではない。
カウンタックは何代かの進化を経ていて、初期型からしてすごかったのだが、ここでは割愛して、今回の最終型だけを紹介する。最終型といっても登場は1985年、すでに16年も前のものだが、その性能は今なお世界でもトップレベルである。車の三大性能「走る・曲がる・止まる」、すべてにおいてとてつもない能力を持っている。それを見てみる。いろいろと恐ろしい数字が出てくる。
まず馬力。455馬力。
車に詳しくない方のために説明すると、カローラの安いやつは100馬力を超えない。市販の日本車の最高クラスでも、規制があって280馬力である。その1.5倍。
それをNA、つまりターボなしで叩き出している。エンジンの排気量は5167cc。ペットボトル3本以上、トラック並みである。日本車では3リッターを越えるものはまずない。
気筒数12。V12という大層な本数。クワトロ・バルボーレというのは4バルブのことなので、48のバルブが一斉にしゃかしゃか動いていることになる。
全長は4140ミリ。クラウンより70センチ近く短い。にもかかわらず、全幅は2000ミリ、クラウンより24センチも広い。つまり、幅が広い寸詰まりの形をしている。とどめに高さは1070ミリ。これはさすがに、クラウンより、と比較してもよく分からないだろう。こう言っておく。
ビートより低い。
短くて、幅が広くて、異様に背が低い。この事実が表すものは何か。それは、カウンタックが恐ろしく「曲がる」車だということである。実際に試したわけではないが、そうに違いないと見た。全長が短ければ旋回モーメントが小さくなる。幅が広ければふんばりが利く。背が低ければ重心が下がってロールしない。
加えて、エンジンをリアミッドに積んでいる。運転者の背後だ。後席はない。箸とスプーンを指先で振ってみればすぐにわかるが、先端重量が少ない方が振りやすく止めやすい。カウンタックは箸のほうである。間違いなく曲がる。
車重は1490キロある。これはクラウンとほぼ等しい。重いと言っていいだろう。だが、何しろ455馬力であるからして、「走る」方も尋常ではない。最高速度は公称時速295キロ。メーターは320キロまである。クラウンより……いや、無意味か。
「止まる」方だが、下の写真を見てもらいたい。
ワゴンR後輪
カウンタック後輪
どうだ。
ソノラマ文庫は幅107ミリである。ワゴンRのタイヤは大体それぐらいの幅だが、カウンタックは実にその三倍のサイズのタイヤを履く。345/35VR15、幅34.5センチである。径が15インチと小さいのは時代だが。
このタイヤが無類に強力なグリップを発揮する。エンジンが後ろだから、停止時の重量も四輪に均等に回る。よく止まるのだ。
このように理論的に見て行くと、カウンタックが素晴らしいポテンシャルを秘めていることがわかる。
しかし車は、特にスポーツカーは数字では測れない。イメージもまた大切だ。
だからしてここからは、そのイメージをご紹介。
サイド及びリアビュー
これが有名なガルウイングドアである。垂直に開閉する。ダンパーがあって全重量を手で支えるわけではないが、それでもかなり重い。
ボディーラインは直線を基調とする。ホイルフェンダーなどのデザインは多少古臭いが、くさび型と言うのがぴったりな尖ったシルエットは、今なお先鋭的。
パネルの間はシリコン様の物体でシールしてあった。防水用?
リアハッチ及びトランク
カウンタックは後部にエンジンルームとトランクの両方を持つ。上の写真はエンジンルームのカバーで、FRP製。その後ろにトランクもあり、扉が二つ存在する。言われてみれば当たり前なのだが、見るまで気づかなかった。
トランク(下)は狭い。
エンブレム
リアに誇らしげに張られたカウンタックと5000QVのエンブレム。フェラーリが馬だから、対抗したのだろうか。
この写真、意匠登録に引っかかりそうなので、将来消すかも。
フロントスペース
スペアタイヤの上に若干のスペースあり。鳳一と美鳥はここに例のブツを入れて運んだのである。
コックピット
見ての通り、真っ赤っか。よほどやんごとなき高貴のお方か、骨の髄までカウンタックが好きな硬派ドライバーでなければ、耐えきるのは無理。
それでなくとも、中古ですらお値段1850万円。私のような下賎ではとても。
シートはリクライニングしないが、前後調節と、あと傾きの調節がある。私はがちゃがちゃやりすぎて、怒られた。
センターメーター
320キロまで刻まれた、遠慮のないスピードメーター。
メーターボックスやその周りのデザインも、直線ラインで構成されている。このあたりも古いといえば古い。しかし、歴史の域の古さだ。
ドア内装
ウインドウレバーがある。手動なのだ。この車のクラッチは何かに引っかかってるんじゃないかと思うぐらい重いのだが、それと同様、こちらでも体力を使わなければ窓を開けることはできない。開けたら開けたで、写真の中央の黒枠の下、わずか十センチ程度しか隙間は得られない。高速のチケット、どうやって取るんだろう。
それより不思議なのは、ドアレバーだ。どうやって開けるのかというと、一見サイドポケットのような中央下のくぼみ、その中にレバーがあるのである。
ううむ、奥が深い。
さて、以上がカウンタックのイメージである。一部を紹介しただけだが、日本車からかけ離れたこの車の印象が、少しは伝わっただろうか。
現在、カウンタックは生産されていない。99年からはディアブロSVという後継機種が作られている。ランボルギーニの他の車と比べて、ディアブロはかなりカウンタックのイメージを残しているが、それでも初代の輝くようなカリスマに比べれば、ずいぶん丸くなっている印象があるように思う。(実際多少まるい)
いずれカウンタックは、博物館でしか見られなくなるのだろう。彼が道路の上から消える前に触れられたことは、もしかするととんでもない幸運だったのかもしれない。
さて、そのせっかくの幸運なのだが。
私はどうもがさつに過ぎたらしい。
見せていただいたディーラーのメカニックの方と、最初はそれなりにカウンタックのことで盛りあがったのだが、そのうち調子に乗りすぎてしまった。やれここを開けていいか、あそこを触っていいか、やれエンジンをかけろなどと言っているうちに、ついにその人の逆鱗に触れ、もう今日はおしまい、と会見を打ちきられてしまった。
「あんた、ほんとは好きじゃないでしょう」
こう言われたのである。瞬間、バレた、と思った。確かに私はカウンタック一途の人間ではなく、日本車も好きだし他の車も好きだし、それどころか車以外のものでも乗り物ならなんでも好きという広く薄い人間である。愛が足りないと言われたら一言もない。
丁寧にあつかっているつもりだったが、心のどこかで、所詮車と思っていたのは確かである。メカニックの人は老練そうな男性だったが、やはり見ぬかれてしまったのだ。
しかしそれでも、私はスーパーカーと言えばカウンタックしかない、と思っている。その思いに免じて、許せとは言わないから、せめてこうやって語るのを見逃してもらえないだろうか?