Rep.9 眼下のツキ
江ノ島沖 定置網漁取材記
西暦2002年2月6日取材
定置網漁船「江ノ島丸」
どうも私は、ここのシリーズの題を手抜きで付けているな。……まあいいか。
今回の取材は、前回の海洋科学技術センター訪問の延長である。あちらでは海とはなんぞやということを、微に入り細を穿って調査究明したわけだが、肝心の海の水にも魚にも指一本触れることがなかった。これでは畳上で水練をするのと同じで、現場を踏んで感覚をつかむという取材の目的を果たしたとは言えない。
そこで、八千トンの調査船をうろついても得られなかった何かを求めて、十一トン半の漁船に乗ってきた。神奈川県の江ノ島沖に定置網を張っている漁師さんのところを、つてを頼って訪ねたのである。
漁という採食行動はちょっと特殊なところがあって、鉄砲持ってバイソンを追っかけ回したり、砂粒のようなものを泥にまいて稲が伸びるのを待ったりするのとは、大分違う。獲物は水の中にいて、勝手に動き回っていて、こっちからそれを狙うことはできないのである。あくまでも魚が動いてくれなくては話にならない。(底引き網という恐ろしいものを除いての話だが)
要するに、ツキがなくては成り立たない。だから眼下のツキ。ああベタだ。
さて、今回私が乗った船に、ツキはあったのか。
「江ノ島丸」。前日に港へ行って、まずこの船を見せてもらった。
全長十八メートル、十一トン半だと聞いたが、このトンが総トンなのか排水量なのか聞き忘れた。船倉に十五トン入ると聞いたから、基準排水量のほうだろう。
エンジンはヤマハのディーゼルで二百五十馬力。レーダーと無線も積んでいるが、レーダーはあまり使わない。中央にはクレーンがある。
翌朝四時集合。番屋で天気を見つつ、五時に、江ノ島の付け根の片瀬川河口から出港。
この船の漁は定置網漁である。今日の仕事は、三日前から入れてある網まで行って、魚を回収すること。網を回収したり新しく入れたりは、今日はやらない。
窓口になってくれた漁師のKさん(この人は著書もある”漁師作家”だったりする)を含めて、乗組員は七人。私は運転台に押し込められ、残る皆は甲板で準備に余念がない。
これは艫から街のほうを撮った写真だが、にせもの。シャッター開放で明るくしただけ。
周囲は真っ暗。しかもこの日は雨だった。夜目が利かなくなるので、ヘッドライトなどつけない。暗黒の海上を赤青の航行灯だけつけて走る。どうやって方向を見定めているのか操縦のKさんに聞いたら、一瞬だけ室内灯をつけてコンパスを見せた。あとは、灯台やブイが頼りである。
気温は二月にしては暖かいぐらい。私の服装はバイクのライジャケに救命胴衣、カッパのズボンとゴム長。それだけの装備でまったく寒さを感じないほどだった。他の人たちは下はカッパと長靴だが、救命胴衣なんぞ着けない。そして帽子や手ぬぐい、ヘルメットなど、思い思いのもので首から上を隠している。
六ノットで沖へと進む。海は拍子抜けするほどのベタ凪ぎで、まったく揺れない。自転車で走っているようなのんびりした雰囲気。
黒い江ノ島の上で灯台が回り、赤色灯がいくつも点滅していて、要塞そっくりだった。
網の位置はほんの三キロほど沖。江ノ島を通過してすぐ、Kさんが網のブイの赤色灯を指差した。
二十分後、網に到着。私が左舷から首を出しているうちに、右舷に横抱きにしていた船外機のボートに二人が飛び乗り、素早く離れて行く。ここまでもこの後も、皆ろくに声などかけない。タイミングを見て勝手に動いている。駆け出しはいないらしい。
網の大きさは幅五十メートル、長さ八十メートル。入り口が弁のようになった構造で、潮流の中に浮いている。
船は止まり、投光器がつけられて、総出で綱を引いて網を絞っていく。水の中から細いロープを手かぎで拾い上げ、甲板にあるウインチドラムに巻きつけて、少しずつ引く。私は最初、暗いのと網の形が分かっていなかったのとで、一体どの綱をなんのために弾いているのかさっぱり理解できなかった。
そのうちに網が縮まってくると、なんとなく分かってくる。船の右舷の前後に分かれて、三人ぐらいずつでどんどん綱を引く。漁はほとんど綱を引くことがすべてだ。網が円形に縮められ、サッカーコートぐらいあったのがテニスコートになり裏庭ぐらいになる。ボートが向こう側に行って、網を船と挟む。
風と雨で冷たく濡れるのだが、私はカメラを持つ手をたまに揉みほぐす必要を感じたぐらいで、全然寒くなかった。漁師の人たちも楽だったと思う。やはり暖かい日だった。
この辺りから、カモメがやたらと周囲を飛びまわるようになる。その数無慮数十羽。いっそ空に網を打ってカモメを取ったほうが儲かりそうなぐらい。
ホニャア、ヒャア、と鳴く。
そして三十分後、網の底が見えてくる。最初に目に付くのはビニール袋やペットボトルなどのゴミだ。沿岸漁業の宿命か。
ゴミばかり見えてあまり魚が見えないので落胆する。実は今回、定置網の入り口の弁のところで、綱が切れていた。犯人は潮流。おかげで網に入った魚がほとんど逃げてしまっていたそうだ。
それでも、獲物はゼロではなかった。海面に持ち上げられた網の上に、白と銀と赤の魚が現れる。私は運転台から出て近づいた。
クレーンが網の底を高く持ち上げ、皆が手網でざんざん魚をすくい上げる。上げた魚は甲板に置いた籠にあけていく。今回は魚が少なかったので手網で十回もすくうと終わってしまったが、本当なら、クレーンで網ごと上げるべき作業なのかもしれない。
船の前部には蓋が四つ並んでいて、開けるとそれぞれ三トン半の船倉である。全部で十五トンの獲物を呑みこむことができるのだが、今回はひとつとしてお呼びではなかった。ちょっと寂しい。
網起こしが終わると、船はそのまま網を残して港へと舳を返す。
甲板では、今取った魚を皆が手作業で仕分けていく。量が少ないから今のうちにやってしまうのだろう。
この写真が、今回の獲物のほとんど。一番の大物が二尺ぐらいのスズキ数匹で、あとは二十センチぐらいの小魚ばかり。丸っこいのはイボダイ。ちょっと長い、一番芸のない形のがアオアジ。細長いのがカマス。もっと長いウナギもどきがアナゴ。赤いのがホウボウ。それにイカっぽいのがアオリイカ。江ノ島水族館から頼まれていたとかで、ハリセンボンを水に入れて集めていた。おまけとしてうちわぐらいの大きさのエイも二匹取れたのだが、これは外道らしく、甲板の隅っこに捨てられて、あとで手かぎをぶちこまれて海に放り出されていた。南無。
六時頃、港に戻る。
岸壁には業者のトラックが来ていて、その前に仕分け台が出ていた。船が接岸すると籠を上げて、仕分け台に魚をぶちまける。で、全員で一匹ずつ魚をより分けていくのだが、これ、大漁のときには物凄く手間がかかりそう。
仕分けが済むと、市場のおっさんお兄ちゃんが、その場で値段をつけてトラックで持っていった。その間に船のメンバーはザバザバ水を流して甲板や岸壁を洗い流す。
で、七時前にはすべてが終了する。あとは寝なおそうがパチンコに行こうが自由である。
今回の漁獲を聞いたところ、約五十キロということだった。では今までの最高記録はどれぐらいかと聞いたら、一度港に戻した船をまた出して、網まで二往復したこともあるという。満載十五トンの船が二往復である。
つまり今日の漁は、お話にならないぐらいの不漁だったのである。実に残念。魚で船が転覆するぐらいの修羅場を見たかったのに。まあ季節が悪いせいか。それともあれか、私がゲンが悪いのか?
最後に、お土産までもらってしまった。
私としては、日本酒のCMのような、魚をぶっ裂いて醤油でご飯に乗せるぐらいの代物、いわゆる漁師料理をご相伴できるかなあぐらいには期待していたのだが、まさか発泡スチロール箱に詰め込みでもらえるとは思わなかった。あ、あと、出港前にマーマレードパンを一枚おごってもらったが。漁師っぽくはなかったなあ。
もらった魚は五キロはあったか。その日の昼には愛知県に帰ったのだが、とても食べきれないので実家その他におすそ分けした。まさか、「今朝、相模湾で取れた生きのいい近海もので……」という冗談を地でやれることになるとは思っていなかったので、存分にかましてみた。
写真は持って帰った中の一部。イボダイとアオアジ、だと思う。
生魚なんか日頃ろくに食わないので、適当にワタを抜いて塩焼きにしてみた。イボダイは英名をバターフィッシュと言うのだが、名前の通り身がとろりと柔らかくて、大変おいしかった。まったく生臭くないところに新鮮さを感じたりした。
という感じだった、漁船の取材。
眼下にツキはまったくなかったが、感想を述べてみると、これがずいぶん面白い。収穫の楽しさというやつに目覚めてしまったような気がする。そりゃ寒くもない日に一日だけ潜りこんで見物したのだから、面白くって当たり前かもしれないが。
五十キロでも結構わくわくできたから、大漁ならどれぐらい愉快だろう。春になればもうちょっと漁が良くなるそうだから、また行ってみたいものである。
……ではなくて、これを小説に生かさないと意味がないのか。うん生かす、生かすけど、なんか漁、ほんとに意外と面白そうだぞ。
Kさんと江ノ島丸の皆さん、それにSACの松浦さん、ご協力ありがとうございました。
(西暦2002年2月記)