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二日目 単線「ぶらり韓国下車の旅」 2009年11月3日 後編
慶州(キョンジュ)駅で降りそこねて先の駅で折り返して戻り、
宿を取って遺跡を見てきました。
15:36 慶州駅で降り損ねる
16:05 永川駅で折り返し列車に乗り換える
16:46 慶州着、投宿
17:30 遺跡・瞻星台(チョムソンデ)を見に行く
18:00 町で夕食を取り、宿に戻る
23:00 就寝
15:36 夕方四時ぐらいに着くだろうと考えて、駅から駅へと走り行くセマウル号の座席でのんびりしていると、ただいま出発しつつある駅の看板に「慶州」と読めた。
乗り過ごした。
老夫婦がやってきて、(おそらく)そこはわしらの席だと言いながら切符を見せる。
速やかに荷物をまとめてデッキへ出た。全席指定だとこういうとき不便だ。
次の駅で折り返そうと待ったが、なかなか止まらない。それもそのはず、次の永川駅までは40分もの行程である。
デッキの階段に腰を下ろしてドナドナを歌う。まあたいしたことではない。乗り放題の券を持っているのだし、宿の予約があるわけでなし。どこでもどうとでもなる。
じきにアテンダントが通りかかる。
JRの女性乗務員は黒服の「女車掌」だが、コレイルの女性乗務員は赤いスーツスカートの「アテンダント」である。切符を見せて、降り損ねたことを英語で話す。こちらはたいしたことだとは思っていないのに、向こうは切符を見ると何やら携帯を取り出してどこかへかけ、長々と話す。どうも大事になってしまったような扱いだ。
じきにアテンダントはこちらの切符にボールペンでハングルを書きつけ、列車番号を書き換えた。それから、次の駅で対向列車に乗って戻るといいわ、というようなことを(たぶん)言った。
んなことは言われなくてもやるつもりでいた。
いたのだが、それはどうも、韓国的には普通の行いではないのかもしれない。乗り越したら、戻りの料金も払うのが彼らのしきたりらしい。
そう考えると、この辺のことは、戻りも適当に済ませる日本のほうが、逆にアジア的なのかもしれないと思った。
アテンダントは日本語も英語も通じなかったが、前方気動車のすぐ後ろにある、短い客室へ誘導してくれた。そこで30代男性車掌とともに、到着を待った。彼もあまり英語を解しなかった。
じきに永川駅に到着すると、手ぶりで急げと言って、ホームを挟んだところに止まっている対向列車を指さす。まさかとは思うが、ひょっとして止めておいてくれたのか。
礼を言って向こうへ飛び乗った。
乗りかえた列車のクルーにも話は通っており、笑顔で新しい席へ案内された。
コレイルの接客は最高だったと書いておく。
セマウル号にはラウンジカーがあって、軽食のバーといくつかのカウンター席、アーケードゲーム二台、ペア用カラオケルーム二つが備えてあるのだが、一連のごたごたで撮り損ねてしまった。
16:46 慶州着。
セマウル号が去ってゆく。
この駅にも遮断機なしの踏切がある。トンネルもあるが、車椅子やトランクなどの荷物のある人は踏み切りをわたる。
駅舎にはやはり改札口がない。
気温は15度ぐらいだろうか。ダウンジャケットが暑くない上限といった感じ。
日が暮れる前に宿を探そうと決める。
駅から出たとたんに「にほんじんですかー」と来た。だからなんでひと目でわかる。
客引きを無視して先へ行く。
が、すぐ先の土産物屋でも、中で事務していたおばちゃんがわざわざ出てきて「にほんじんおいでー」と言う。だからなんで。
地球の歩き方の地図を見て、一番近いチョンファジャンなるホテルへ歩く。
なにげなく使ってきたが、地球の歩き方は実によい本である。
慶州は古代国家新羅の首都であった古い町で、全域が世界遺産に指定されている。
日本で言えば奈良ぐらいの格はあるはずの街だ。
けれども、夕暮れせまる到着時間のせいもあっただろうが、なんだかわびしく感じられた。
奈良っていうより、あれだ、この四月に通った熊本みたいな感じ。
慶州人が信号を渡る。
女子高生はマスクをしている。見づらいが写真奥に数人いる。
女子高生に限らずマスクをしている人は多かった。
特に軍人、将校。
バー。
左右のあやしい人型は、ラグナロクオンラインのプレイヤーならご存知、天下大将軍と地下大将軍である。
それで着いたのがこのホテル。なんだか本と名前がちがうぞ。
翌朝わかったが、本に載っていたのはこの東隣のホテルだった。
しかし規模としてはどっちも似たようなもの。
日本語表記一切なしの玄人向けっぽい雰囲気に、若干ためらいながら入る。
中は薄暗い。アニョハセヨーと声をかけると兵士みたいな角刈りの兄ちゃんが出てきた。
日本語わかるか、というと顔をしかめる。
しかしパン・イッスムニダ? と言うとニコッとうなずいた。
部屋あるか、の意である。覚えてきてよかった。
兄ちゃんは紙に24000と書いた。一泊2000円である。
オーケーと即答して前金で払った。
宿帳も何も書かずとも、鍵とかみそりと袋入りシャンプーを渡された。
うすぐらい階段を登り……
うすぐらい廊下を行くと、
うすぐらい部屋が待っていた。
これ全部フラッシュを焚いているが、実際は「電気どこだよ」と言いたくなる暗さで、けっこう怖かった。
点灯してみれば意外にちゃんとした部屋でほっとする。
だが下は板だ。フローリングとかではなく、板。
しかもスリッパがない。
まあ二千円だし、と自分を納得させて、荷解きをした。
一休みしてから、さらなる行動を開始する。
日本で子供とやった「世界遺産かるた」に、「千年も 栄えたみやこ シンラのキョンジュ」という札があり、そこに石造りの望楼の写真がプリントされていた。
これが瞻星台(チョムソンデ)という遺跡で、ここ慶州の名物である。
明日朝は早くに出るから、見るなら今しかない。
重量物を荷下ろしし、軽量化した状態で再出撃する。
さあここからだ。
宿からチョムソンデまでは約1キロ。遠くはないが、幹線道路なんか通っていってもつまらない。
で、まっすぐ住宅街をショートカットすることにした。
一歩踏みこむとこんな光景。
たそがれ時のうら寂れた、廃墟じみた民家が連なっている。
誰もいない。
写真で伝わるかどうかわからないが、この誰もいなさが、異界の空気を醸し出していた。
だいたいなんで地面も塀も扉も電柱も、ぜんぶ曲がっているのか。
地面のほこりのなさなどから、廃墟でないのはわかるのだ。
なのに子供一人出歩いていない。
で、ここに出た。
この広場がなんなのか、よくわからない。
建物を撤去した後のようだが、取り壊した形跡はない。
大人もいないし子供もいない。何もかも曲がっている。
千と千尋の神隠しを思い出したり。
どれかの家にフッと引っぱりこまれたら永遠に消息不明になるんだろうなあと考えたり。
この地区から出るときに見た老人二人が、唯一の地元民だった。
などと妄想しているうちに住宅街は終わって、公園に出る。
遠方に見える円丘は王陵か。
すぐ手前の円丘をぐるりと回りこむと――
見つけた。
17:30 新羅二十七代善徳女王の天文観測台、瞻星台に着いた。
善徳女王がどんな人だったのかまったく知らないが、字面からすると、光明皇后のような人だったんだろう。
ちょうど日本で大化の改新が起こったころの人らしい。
フェンスに囲まれており、事務小屋がある。
500W払って入った。
写真を何枚か撮ったが、自分撮りをしたくなった。だが三脚はない。
そこで、売店のおばちゃんに頼んでみた。
おばちゃん、デジイチは生まれて初めてらしく、あっちこっちボタンを押して縦に横にひねくり回す。あーっと、えーとね、これはこうだから。うん、ここ押すだけ。
押すだけ。
押すだけだっつーのになんで斜めにする。
パシャ。
チョムソンデ自体はたいした代物ではない。たかだか10メートルほどの高さの石塔で、中に入れるわけでもないし、美しい彫刻や高度な機能があるわけでもない。
ただ、これは法隆寺とも同時代の建築物であるわけで、斑鳩で聖徳太子がいろいろやっていたころ、海のこっちでも韓国人がいろいろやっていたのだなと考えると、いくぶん親しみが湧いた。
「国宝第三十一号、慶州瞻星台」。
外へ出る。
これは昔の建物の礎石。
青森の三内丸山遺跡でもこういうのを見たことがある。
宮殿かな、倉庫かな。
自販機。
ん? その向こうにあるのは……。
スズキのチョイノリだ。
いや待て。何かおかしい。
そう、チョイノリはこうだ。
リアサスがない。
でもこっちはサスがある。
これはGAMAXという台湾メーカーの模造バイクだった。
けったいなナンバープレートがついているが、これは韓国人の発明したアクセサリである。
韓国では50ccバイクはナンバー不要なので、おしゃれ感覚で自前のプレートをつけることができる。そこを当てこんで、適当な日本語を盛りこんで日本バイクっぽくデザインしたプレートが売られている。
「新宿モげ」はその中でも有名どころのプレートである。
さて、目的を果たしたので食事をとって寝ることにする。
夕食は店で食べよう。
店を探して歩くうちに、日が暮れてくる。
空気の乾燥した韓国の空はとてもきれいだ。
さっき怖かった区画の外縁をかすめるようにして歩く。すると、
また廃墟である。
ひょっとするとここは本当に人の住んでいない区画なのかもしれない。
雨が降らないからほこりが路上にたまらないだけで、実はずっと前から無人なのだとか……。
月はきれいだ。
道は怖い。
キョンシーが出そうな気がしてくる。
国が違うが。
こんなものまである。
不気味さがシャレにならん。
これは人面文圓瓦當といって、七世紀のめずらしい瓦から取ったデザインで、慶州そのもののシンボルマークにされているらしい。
でもこわい。
18:00 そうして、ようやく市街地に入る。
慶州のナウなヤングにバカウケのストリートである、と本に書いてある。
ほっとして歩く。
でも韓国料理の気分ではない。というか、朝が無料飯で、昼が200円の餃子だったから、夜ぐらい高くて重いものが食べたくなっていた。
そんなときこの店が目に止まる。
イタリアンだ。
ただのイタリアンではなく田舎のイタリアンである。
韓国文化でもなんでもないが、これはじゅうぶんに現代韓国の日常の一端である、と解釈して入る。
雰囲気は大変よい。
そしたらこんな店でした。
椅子と壁はピンクとパステルグリーンで、白木のコンパートメントが切られ、ソファーにクッションの並んでいる乙女チック空間。カップル客とか、女女客ばかり憩うている。
その中に、ダウンジャケットでバックパック背負ってチューリップハットをかぶった姿で入っていった。雰囲気をぶち壊してしまいそうだったが、まあボックス席だからいいだろうと。
ウェイトレスのお姉さんはやる気なさそうに出てきてだらだらと案内してくれた。メニューを見て相談する。彼女はコレイルのアテンダント程度には英語を理解した。肉が食べたかったので一番高いステーキとスタウトを頼むと、やる気なさそうに伝えに行った。
隣席は慶州のナウなヤングだと思われるカップルだが、容姿の洗練という点では、どうもこちらとどっこいどっこいだった。
トーストのあとでステーキが到着した。下は八宝菜である。ヨーグルト+大阪ソースとでも言うべきマイルドな味付けがなされており、ありがたいことに好みだった。
ただ、ぜいたくを言えばもうひとつパンチがほしかった。
どうも韓国人は、キムチ的な辛さを多いに好むが、逆に塩と胡椒はあまりほしがらない傾向があるような気がする。
合計20400W、1632円だった。
多いに満足し、コンビニでおやつを買って、宿に帰る。
宿の浴室はこんな感じ。
タイルが割れているが、十分に清潔。お湯も出る。
垢すりタオルがある分、東横インより入浴しやすいぐらいだった。
冷蔵庫に張ってあったシール。
この番号に電話すると、お姉さんが来てしかるべき行為をしてくれるのだろう。
ハム太郎が何を意味するのかは不明である。
ふと思いついてフロントへ行き、尋ねた。
「インターネット?」
「インターネット!」
肩をすくめる受付兄ちゃん。二千円の宿で聞くことではなかった。
部屋から無線LANのAPを探すが、ひとつもヒットせず。
入浴後、日記を書き、残金を計算する。
当初の62万Wのうち、112,200W使っていた。9048円である。
残りは507,800W。
ぜんぜん所持金が減らない。
夜が更けても、部屋は暖かい。
オンドルの流れを汲む床暖房であった。スリッパがないのはこのためかと理解する。
韓国人はこれが大好きで、練炭の代わりに温水や電気を使うようになった現代でも、まず「下から」暖まらないと我慢できないらしい。
ごていねいにベッドにまで電熱マットが敷かれていた。
熱効率的に、電気毛布とどっちがいいのか、興味深いところではある。
ネットがないのでやることもなく、23時に就寝する。
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