このリアルで元気な人たち 2009年11月5日
戦争記念館を見物して帰国しました。韓国の人と車について付記します。
前夜の体調不良でなかなか寝付けなかったが、明け方に眠りに入ってまどろんだ。
09:58 起床
11:00 明洞で朝食
12:00 戦争記念館を見物
14:50 地下鉄三角地駅から仁川空港へ
16:15 仁川空港着、チェックイン
17:20 ボディチェックで引っかかる
18:30 韓国を離れる
そのうちに屋外から働く人々の声やエンジン音が聞こえてきたので、そろそろ朝か、と時計を見た。
09:55 腕時計を見て目を疑い、携帯電話でクロスチェックする。やはり十時前。寝過ごしてしまった。日本にいたころの体内時計をリセットして、昼型になったつもりでいたが、戻ってしまったらしい。
急いで荷物をまとめ、チェックアウトした。
パッキングがぐしゃぐしゃだったので、ホテルの前でやり直す。パスポートと財布をチェック。行動予定もたて直しだ。
今日は戦争記念館の見物と、竜山電子街の散歩という二つの予定を立てていたが、この寝坊によって、一つは不可能になった。
電子街のほうを切ることにする。
まずは朝食を求めて出発した。
ホテルのすぐ近所にバイクの改造工房があって、こんな感じのトライクを作っていた。これほしいなあ。
価値ある情報かもしれないので書いておくが、このトライクを作っていた工房はここである。大通りの南側に当たる。
朝から韓国料理へ行く元気がなかったので、コンビニで済ませることに。
11:00 地下鉄で移動し、明洞のファミマへ入った。前から気になっていた徳利状の白い飲み物と、おにぎりと、ピザまんを買う。2500W。 すぐ隣にあった公共ベンチで食べる。徳利はおいしい砂糖牛乳だった。ピザまんはほのかに薬草の味。おにぎりは当てずっぽうで買ったら、やはりキムチ入りだった。
ソウルでは路上でも駅構内でも、座りたいと思ったときには必ずどこにでもベンチがあった。東京ではこれほどベンチを見かけない。見習うべきだと思う。
韓国のバイクは、タクラマカン砂漠を渡るらくだのように荷物を積んでいる。
明洞駅前で、しばしそれらを観察する。
11:22 地下鉄四号線で三駅隣の三角地駅へ向かう。南大門広場駅では、また行商が乗ってきた。今度は手袋売りであったが、紫色の趣味の悪いやつで、案の定誰も買わなかった。
地下鉄料金は1500W。降車後に駅の自販機にカードを入れると、デポの500Wが戻る。一回乗るたびに返金を受けていたが、たぶん、もっとよい使い方がある。
ソウル、プサン、テグのどの町でも、地下鉄初乗り料金が約80円という爆安価格であった。うらやましい。
11:38 三角地駅着。ここは、いぜん韓国軍陸軍本部があった。94年に改装し戦争記念館が作られた。
付近には警察官や軍人が多い。
野良猫を撮ったりしつつ、記念館に向かう。
記念館の入り口はこんなに狭い。元が軍事施設だから仕方がないのかと思ったが、実はこれ裏口だった。
敷地にはゲートや駐車場があるが、止められることはない。
中国人らしいカップルの後をついて、入っていく。
やがて大きな石造りの建物に着いた。
戦争記念館は、主に朝鮮戦争以降の戦争についての資料が展示されている。
慰霊施設的な側面も大きい。
戦没者リストの彫られた石版が並ぶ。
列柱廊を通り過ぎて、券売所へ。入場券は3000W、240円。
12:00 戦争記念館に入った。まずは100Wで返金のあるコインロッカーに荷物を入れる。
案内所で音声解説機を借りる。電話機のような外見で、展示を廻りながらナンバーを入力すると、日本語アナウンスが流れる仕組み。大英博物館に合ったのと、形は違うが同じものだ。2500W。
受付のおばさんがフレンドリーで、いつ来たの、どこを回ったの、と聞いてきた。しばらく日本語で話をする。
まず最初に出迎えてくれたのは亀甲船だった。
そこから展示室へ。
まず、日本降伏調印書が置いてある。
この施設では太平洋戦争よりあとのことを扱っているので、日本関係の展示はこことあと数点ぐらいしかなかった。
12:20 朝鮮は第二次大戦後、国連による統一政府樹立の決議があったにもかかわらず、二つの政府がたってしまい、戦争を招いた。1950年6月25日午前4時、北朝鮮軍は38度線全体にわたって、ロシア製T-34戦車を主力とする部隊で国境を破り、南韓になだれこんだ。韓国軍は前日土曜日だったため将校が休暇に出てしまい完全に無力だった。
というようなことが大変分かりやすく説明される。日本語アナウンスもよく聞き取れる。おそらく、日本人による音声だ。
首都ソウルは3日で取られた。国連の支援決議が出て、烏山へ米軍が降下して遅延作戦をはかるが、2.5インチバズーカではT-34を破壊できない。大田市を防衛する市街戦でも破れる。危うし、という展開。
大邱・釜山で必死の防衛戦が行われるいっぽう、国連軍による莫大な支援が始まり――。
マッカーサーによる起死回生の仁川上陸作戦へつなげたのだった、と。
そこで最初のルームが終わり、次の部屋へ。
渡り廊下から亀甲船を見る。
こんな帆装で役に立ったんだろうか。なんかのおまじないか?
勝ちに乗って一気に北上した米韓軍を、新たに出現した中共軍が人海戦術で迎え撃ち――と続く。
シリーズになっている韓国軍作成の大画面ビデオがなかなかの力作で、日本語ナレーションも選ぶことができて、たいへん楽しめた。
めまぐるしく両軍が入れ替わる現状にわけがわからなくなり、両軍の旗を一度に振る国境地帯の老人も現れた、というほほえましい場面も。
他に1986年1月、北朝鮮のコマンド31名が国境を越えて侵入、山岳地帯を縦走し首相官邸を爆破しようと首都を目指した、青瓦台襲撃事件などの展示もあった。
休憩所からは庭園が見える。お下がりのヘリコプターがずらり。
中古品と鹵獲品の航空機と陸戦兵器もいっぱい。
正時には陸海空軍の兵がラッパを吹いてくれる。
頼んで撮らせてもらう。
戦後の韓国人のくるしい暮らしを現したジオラマ。
韓国人は日本よりも近い過去に大戦争を体験し、今でもなお隣国と実弾を撃ち合っている。この記事を書いているのは09年11月11日だが、つい昨日も韓国の警備艇と北朝鮮の警備艇と銃撃戦を行った、というニュースが入ってきた。
これを日本に置き換えるなら、東京から見て群馬県ぐらいの位置に核を保有する敵国があり、暗殺部隊が山手線の内側までやってきたことがあり、房総沖でしばしば銃撃戦が行われている、という状況だ。
このことが、韓国人のメンタリティに影響を与えていないわけがないと思った。
14:15 外へ出て、建物の東側に向かう。戦車や飛行機が置いてある。
米軍のスクラップ展示場という趣があるのは日本と同じだが、陸戦兵器や共産圏からの分捕り品が並べてあるところがちがう。
対空兵器がたくさん並んでいたり、
野砲がたくさん並んでいたり、
装甲車の中に入れたりする。
この大きな複葉機はロシアから、いや、ソ連から奪ったらしいAn-2。
ものすごい安普請で、中に入ってそこらの壁を指で押すとぺこぺこたわむ。
実機は、21世紀の現在の複葉機の中で最大のものであるそうだ。まだ飛んでるのか。
言わずと知れたB-52。
後方双胴のボックスカーなんかも置いてあった。
そして韓国人にとっての大悪魔、T-34。
こいつは正門横の特別スペースに鎮座させられていた。
そうして正面に回りこんだ。立派な建物である。
最後に、そこらを歩いていた韓国人の紳士を呼び止めて、自分を一枚撮ってもらった。
その人は快く撮ってくれた。なぜかやはり斜めだったが……。
14:40 自販機でいっぱいのシュガーコーヒー400Wを飲んだのち、帰国の途に着く。
韓国の地上に別れを告げ、地下鉄へ向かった。
収穫が盛りだくさんの旅行だった。
さて、このままレポートを終えるのはやや寂しいので、最後に二点、韓国の人と車についての感想を書いておく。
--1.韓国の人々について--
--2.韓国の車とバイクについて--
韓国の人々は総体に日本よりも地味なようである。
男性は兵役があるためか髪型にかまいつけず、良くも悪くもゴツッとしており、肌が浅黒くて、芋やかぼちゃを連想させる。
しかし場所によっては韓流ドラマに出てくるようなソフトな美男子もいる。特にソウルのしかるべき当世風の場所では、まるでモデルかと思われるような男性が闊歩していた。
服装は黒が多い。
韓国の女の子、というか女性は、日本の女性よりも大人びて見えた。媚や幼いところがないのである。骨が太いようにも感じる。仲良さそうに寄り添っている恋人も多数見かけたが、「甘えている」という感じが薄かった。男と張り合っているのである。日本よりもアメリカに近いような光景であった。
韓国では、リアルではまだまだ萌えが希少だ。
群馬に敵がいて、女子は骨太なのである。
のんびりぬるぬると萌えている余裕などないのかもしれない。
韓国ではお年寄りが大変に尊ばれている。地下鉄ではそれが如実に感じられた。というのは、どんなに混雑していても、列車のシルバーシートに若者が座らないのである。
そこはお年寄りのものであるという厳然たるルールがあるようだった。
韓国で一番元気なのは、やはりおばちゃんたちである。声も態度も大きくて、ケンカと見まがうような口論をしていたり、しばしば本当にケンカをしている。
その特徴はパーマである。なんというのか、日本で20年前にはやっていたカリフラワー状の髪型をしている。それはもう判で押したようにソウルから釜山までみんながそうしている。
そうしてお年を召された韓国婦人はピンクを着る。
似合うとか似合わないとかはどうでもいいのである。
日本のお年寄りが紫を着るように、向こうではピンクを着まくる。
地下鉄車内は静かで、黒が多い。髪を染めている人は少なく、帽子をかぶっている人も少ない。
ただし電話がかかってくると、周囲を気にせず大声で話す。
街中では軍人が散見される。
またおっさんも多い。
先に、繁華街では美しい男女が多いと書いたが、その男女に混じって田舎から物売りに来たようなおっさんおばちゃんも平然と闊歩している。年代別の棲み分けがまだ起きていないか、棲み分ける気がないように見える。
最後に、韓国の子供について。
韓国に子供はいない。そう言ってしまいたくなるほど、見かけなかった。
ただ一ヵ所大勢見かけたのは戦争記念館で、学校の社会見学かなにからしい幼児が大勢来ていたが、そこだけだ。
本当にどこにいるのか不思議である。
韓国では多くのバイクが働いている。
日本のバイクより数等手荒く扱われているが、生き生きしているのもまた確かだ。
これは極上の部類に入るもの。
これで中ぐらい。
韓国でいちばん人気のスポーツバイク、DAELIM VF。
でもスポーツ用途ではあんまり使われていない。
真ん中、カブっぽいバイクに工具とはしごまで乗っけた職人ご用達。
右、全周ガードをつけて衝突対策万全。
左のキャリア付きアメリカンがスリムにすら見えてくる。
なんだかわからないが可愛いマーケットバイクという感じ。
これも全周ガードを装着。
ひょっとしてこれメーカーオプションか?
電動バイクをさっそうとカッ飛ばしていく韓国リーマン。
韓国ではオートバイのメット着用だけは厳重に守られていた。取締りがあるらしい。
それなのにこの人はかぶっていない。電動バイクはセーフなんだろうか。
なんにせよ楽しそう。
いっけん普通の商用バイクだが……ん?
手動ギアだよ。
こちらは胴長バイク。
スイングアームをストレッチした上でサスを四本にしちゃった。
もうなんでもありである。
こいつも歴戦の風格満点。
工房改造トライク。メチャクチャかっこよく見える。
ここからは強力編。
明洞の駅前で、わずか10分間観察したもの。
じゅうたん二本を積んだだけでなく、よく見るとリアキャリアの「下」にまでカゴをぶら下げている。
服とかクッションとか。
布系のものをいろいろと。
こいつはバイク自体がゴツくてすてき。
いろいろ乗っけたほかに、パニエケースというか、サイドバッグまでつけている。
食品かな。
いっけんおとなしそうだが……。
……命知らずというかなんと言うか。
体積ではこの人が最高だった。
トライク+ねこ祭り。
魚のアラをもらっているのだった。
以下は車。これは起亜自動車の小型車。
ハリアーっぽい何か。
ヴィッツっぽいというか三菱の軽っぽいというか、そんな何か。
ヒュンダイ、デーウ、キアが多く、日本車はほとんど見なかった。
それと、当たり前だが軽自動車はなかった。
写真はないが、韓国企業は高級車も出しており、ベンツかな? クラウンかな? と思った車は、ほとんど全部韓国車だった。
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さて、韓国の体験はこれでおしまい――と言いたいところだが、もうちょっとだけ続く。
14:50 三角地駅で、仁川空港までのチケットを買った。コレイルの領分ではないので、通しで券が買える。4600+デポ500=5100W。六号線の列車に乗る。
15:00 孔徳(ゴンデク)で乗り換え。金浦空港へ。
地下鉄の中でみかんを剥く青年を見たが、皮は捨てずきちんとかばんに入れていた。
他にも二度見たが、韓国人はヒトデ剥きをしないらしい。ぽろぽろチビチビとかけらで剥く。
15:39 金浦空港で各駅停車のAREXに乗る。
毎正時には直行便が出る。
16:15 仁川エアポート着。
駅の地下ホームから改札へ上がっていくエスカレーターで、ほほえましい光景を見る。
階上にあったサムスン電子のカウンターで、制服戴帽の案内嬢が澄ました顔で座っている。
その足先だけが、カウンター横からちらりとはみ出していた。
彼女は靴を脱いで裸足になり、椅子の上に横座りしているのだった。
16:40 空港三階で自動チェックイン。
最後の韓国食を食べようと思い立ち、近くのロッテリアに入る。
メニューがよくわからなかったので、価格で判断して、セットにしてくれと頼んだ。
出てきたのはほぼ希望通りのものだが、さすがというべきか、バーガーのソースがキムチっぽい味のする韓国風味だった。
17:05 シンハン銀行で余った20万Wを両替。15000円になった。
17:20 ボディチェックに入る。しかしここでトラブル発生。
大邱で買ったトイガンが、NGだと言われてしまった。
着陸時の荷物待ちが嫌で、すべてを機内持ち込みしようとしたのが裏目に出た。
一度外へ戻り、大韓航空カウンターへ行って荷物を預ける。
17:40 20分並んで荷物を預ける。しかし荷物を調べるからベンチで5分待てといわれる。
しばらく待っていると、隣の韓国人の紳士が声をかけてきて、われわれはもう5分待ったから立ち去っていいのだよ、と英語で教えてくれた。
念のため案内嬢に聞くと、その通りだった。
17:50 再ボディチェック。金属探知機で念入りに調べられ、通り抜ける。
18:10 出国審査は一瞬で済む。ゲート前で落ち着く。
18:50 離陸。韓国を立ち去り、20:35に中部空港に着陸した。
韓国に持っていったものについて。
腕時計、一眼レフデジカメ、メモ帳、リップクリーム、スニーカー、チョコラBBは大変役に立った。
電子辞書、ノートパソコン、方位磁針はたまに使ったが、なくてもなんとかなったかもしれない。
帽子は、かぶらないほうが韓国では目立たなかっただろう。
携帯電話は、予備の時計とLEDライトとしてのみ役立った。
携帯ナビは役に立たなかった。
iPodShuffleは使わなかった。
最後に、費用を計算する。
航空券が往復34,610円。
宿泊費が35ドルと46ドルと2000円で、計9,290円。
KRパスが9,500円。
使った現金が332,000W、つまり26,560円。
計79,960円だった。
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