第2遊水池
小川一水の生活にまつわる雑感。若いころに書いたコンテンツが多いです。
2007年、大型自動二輪免許の教習記録を追加しました。
2004年、Thinkpad s30の記録を追加しました。
● 大型自動二輪免許の教習記録 2007.1.23
● Thinkpad s30の記録 2004.8.8
● 本 本 その2
● TV‐GAME
● 吾輩はモバギである
吾輩こと、モバイルギア2 MC-R520が、
小川一水のもとに身を寄せることになった顛末記である。
第一回 無体なる主人を得ること 水無月弐十弐日
第二回 PHS通信始末録(上) 文月弐日
第三回 PHS通信始末録(下) 文月十一日
● Shosinsya Fan 作家がヤラれるまで
2000年日本SF大会「Zero-CON」探検記 2000年8月9日
● コンタクト・ジャパン4参加レポート 西暦2000年11月9日掲載
前編 中編 後編
● 産めよ増やせよいろんな形になれよ 西暦2001年4月17日掲載
地球外知性”日帰り”接触シミュレーション
Day CONTACT 1 体験記
本
オーディオ ビジュアル
そもそもこのAV全盛の時代において、音楽や画像そっちのけでひたすら文字数ばかり多いホームページを、愚かにも孤独に作り続けていることで、小川が言葉に対して、並々ならぬ愛着を抱いていることはお分かりいただけると思います。
ていうか、絵、書けないし。曲、作れないし。おれにできることは文を書くことだけ、不滅と信じているのも文字だけ。
漫画も好きですが、やはり文字。白い紙に並んだ黒い虫たちが持つ力は巨大にして無限です。
ここでは、私の愛する虫たちのことを。
キャベツ畑でつかまえて 野田昌宏 1990年
著者は自称「宇宙大元帥」である。(あるはずである。それとも宇宙軍大元帥だったか、宇宙軍元帥だったか)
またこの人物も凄い。株式会社日本テレワーク社長にして、NASA狂いで有名な翻訳家・SF作家であり、私から見れば小松左京に並ぶとも遅れない大人物であり雲上人である。
しかしこちらは、小松氏と違ってここで扱いやすい。この「キャベツ畑でつかまえて」、余人の及ぶべくもない確固たるリアリティをかかげながら、なんとも愛嬌のあるユーモアを兼ね備えた話だからである。
早川書房「あけましておめでとう計画」(1985年)の改題が本書である。実録・日本テレワーク物語という副題のつく連作短編集だ。
日本テレワークとはどんな会社かと言うと、テレビの番組製作会社である。なんでも「第三の目」という科学番組や「祭りだ・わっしょい!」というバラエティーを製作していたらしい。ここらは本当のことらしく、会社も実在しているが、何しろその頃の私はやっと九九を覚えた程度の歳だったから、どんな番組か見たことはない。「ひらけ! ポンキッキ」をリアルタイムで喜んでいたぐらいだから……。
で、野田氏はそのテレワークの重役だった。今では社長である。その長い番組製作のキャリアを生かして、テレワークにまつわるいかにもありそうな話を語ったのが、本書なのだ。
ありそうな話というのがどんなのかと言うと、まず「あけましておめでとう計画」だが、これは民放の年越し番組を題材にしたドキュメンタリー調の話だ。
テレワークの社屋の屋上に、最新機器を備えた通信室を新設した。せっかくぴかぴかの機器を揃えたのだから、これをひとつ番組製作に生かしてみたい。新年の年越し番組を作りたいが、どんなものがいいだろう。そうだ、星から帰ってきた電波を使うのはどうだろう? シンフォニーの各パートを乗せた電波を太陽系の各惑星に時間差をつけて発射し、はねかえってきた電波を重ね合わせて、生の交響曲を番組で放送するのだ。太陽系中に響き渡る新年の歌――これはいいじゃないか!
というわけで、テレワークのスタッフたちの奔走が始まるのである。交響曲は冨田勲と難波弘之に任せ、惑星へ送る電波の放射と追跡はNASAに依頼、軌道計算はカリフォルニア工大とロスアラモス国立研究所のスパコンに頼み、最終的にアメリカで受けた惑星間電波をテレワーク通信室まで短波で送ってもらって、スタジオに中継、そこから全国のお茶の間へ……なんと壮大な計画であることか!
そこへ割りこんでくるのが、シリーズ通しての悪役をつとめる、ガチャピンのぬいぐるみをかぶった謎の宇宙人である。ここでドキュメンタリーががたんとホラ話へ様相を変えるのだ。
このままでは放送が失敗する。機知機転を利かした、あっと驚くテレワークの挽回策とは? という筋立てだ。
ガチャピンは、中身が宇宙人のくせに、どうも貫禄がなく頭もよくない。あんまり宇宙人らしくないのである。
ベタなSFだと、それで全体が馬鹿話に堕してしまうところだが、そうならないのがこの人の面白いところである。一騎当千・八面六臂のテレワークスタッフの活躍が、たまらなくカッコいい。「実録」をうたうに値するリアリティにあふれている。
話は変わるが、手元に雑誌「航空ファン」の99年5月号がある。この号の巻中カラーを読んでいたとき、偶然にも野田氏の名前にぶつかった。民間人でありながら、F‐15戦闘機に100時間以上の搭乗経験があるというTVディレクターの半生記の中である。そのディレクターが駆け出しの頃、入社試験の面接に加わっていたのが社長の野田氏であり、つまりその会社がテレワークだったのだ。
その面接で、かしこまる応募者たちの前で居眠りをしていた野田氏は、やおらむっくり起き上がると、「おまえらの中でNASAが好きなやつはいないか」と聞いたそうである。雑誌の記事を引くと、「放送研究会上がりでDJの経験がある」というような今風の若者たちを相手に、である。
唯一反応できたのが、記事の主人公であるディレクター、児玉研司という人だったらしい。
その後児玉氏は、放送業界のカーストの底辺に位置するADとして筆舌に尽くしがたい苦労に耐え、今では押しも押されぬテレワークのディレクターになっているそうだが――
その記事の中に大先輩として登場する、簾畑ディレクターや古矢チーフプロデューサーが、「キャベツ畑でつかまえて」ではメインキャラとしていきいきと動き回っているのだ。(ふう、やっと話がつながった)
テレビ番組を作る製作会社のトップでは、きっとこのような大騒ぎが今日も繰り返されているんだろう、ありありとそう思わせる生の雰囲気が立ち上ってくるのが、本書なのである。
ところで、ここまで持ち上げておいてなんだが、私にはこの表題、今ひとつピンとこない。
もちろんこれはJ.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を意識したものであるのだが、私がそれを読んでいない、ということもある。
しかしそれよりも、話の中で出てくる「キャベツ人形」なるものがなんなのだか、見たことも聞いたこともない、という理由が大きい。
年代から考えて、80年代前半に流行したものなのだろう。そのころ私は身長120センチぐらいである。田舎に住んでいて流行にも疎かった。
だから、今ひとつイメージを喚起されないというきらいはあるのだが、もとよりテレビは水物。少しくらい時代が過ぎたからといって目くじら立てるものではない。
なにより、テレワークのスタッフたちの活躍は、今日この時も、続いている。それに触れることができる本書は、だから今でも名作である。
(2000.2.27)
今朝、僕はクルマの夢を見た。 下野康史 1991年
本の裏扉の内側の著者紹介には、こう書いてある。
全長/1,620mm 重量/60kg 総肺活量/4,500cc 最高出力/280ps(ネット値)
だからここで取り上げるのである。普通の自動車評論家、たとえば徳大寺有恒あたりがこんなとぼけたことを書くだろうか。書きゃしない。書かないし、日本カーオブザイヤーの審査員として、日本一優れた車にビートを選ぶようなことだってしはしまい。
書き忘れたが、著者は自動車評論家である。それなのに、その手の人らしからぬ非常に豊かな味わいのある文を書く人物なのだ。ここでいう味わいとは、礼儀正しく格調高くにっこり笑って人を食う、そのような感覚をさす。これは、私が目指している路線に共通するものであるからして、非常な親近感を抱くのである。
著者が雑誌などに書いた、クルマに関するコラムを集めた本である。
普通の評論家が書く自動車の評論を読んだことがあるだろうか。たいていはあまりおもしろいものではない。エンジンのパワーが何馬力、重心の高さが何センチ、サスペンションの踏ん張りが旧型比どれぐらいで、グレードと値段がいくら。半分ぐらいが数字で、参考にはなるが二度読みたいものではない。好きな車でなければ一度も読む気が起きない。
それらは読み物ではないからである。「調べる」ものだ。
しかし、下野(これでカバタと読む)氏の書くものは、立派な読み物になっている。普通書き捨てのコラムが本になるぐらいだから、それは確かである。
まず、選ぶ車の種類からして違う。この人の論ずる車は、ビートであり、カウンタックであり、ウニモグであり、小松のダンプであり、時として車の枠からすらはみ出て自転車に乗ったり電車に乗ったりしている。
一体どこの誰が、トヨタ・センチュリーに自転車を積んで試乗記を書こうとするか。知らない方に説明すると、センチュリーというのはトヨタの最高級乗用車である。これはディーラーに行ってもカタログが置いていない。買うのに年収の制限があるのである。
日本の高級車の中でもぶっちぎりの高級さを誇るVIP専用ショーファードリブンカーなのだが、下野氏はこいつの尻に自転車キャリアをつけて自らハンドルを握り、振りまわすと結構おもしろそうだ、などと書いている。この感覚がイイのである。間違っても、ゆったりとした後席でくつろぐと高ぶった神経が休まり車に乗っていることを忘れる、などと月並みなことを書いたりしない。この辺は雑誌「ラピタ」の記事として毎号載っている。
かといって、きてれつなだけの変人かと言うとそうでもない。
著者は「CAR GRAPHIC」、「NAVI」という車雑誌の編集記者だった人物だから、正統的に車の数字スペックを云々する才にだってもちろん長けている。いや、まともにやらせたらそこらの三文カー雑誌記者よりよっぽど正確なデータを挙げられるだろう。
すごいのは、英国の車と長年付き合ってきたと言うだけあって、国内だけでなく海外の車にまで平気で論評が及ぶところである。この辺はちょっと、やれGTRだやれ
スープラだと騒いでいるだけの走り屋系車好きのかなうところではない。
にもかかわらず気取らない。なんというか、車の好きになり方が子供のようである。といっても、私より20も年上の人なのだが。そんな年の差を感じさせない近づきやすい文が、好きなのだ。
いつかお会いしたい人である。(2000.2.22)
日本沈没 上・下 小松左京 昭和48年
書き出しに迷う。
著者は、私の自己紹介でも書いたが、私にとって神にも等しく、また日本中のSFファンとSF作家にとってもそれに近い存在である。年配のSFファンの人々は、昔、SFといったら輸入物しかなかった時代に、小松氏が忽然と現れたことで喝采を呼び、ハインラインに匹敵するとほめたたえたらしいが――私が翻訳ものを読み始めたのはずっと後だったので、小松氏こそが原点で、むしろハインライン、クラークあたりで、やっとこの人に匹敵するかな、というような受け止め方をしている。
日本が沈没する話である。
それがいかに精密で壮大で緻密な話かを書きたくなるのはやまやまなのだが、普通に論評してし切れる作品ではとてもないし、私がそんなことをするのも性に合わない。普通の評価が読みたければよそへ行けばいくらでもある。何しろ国語の資料集に載っていたぐらいだから。
ああしかし、なんと書こう。コンピューターつきブルドーザーと評された作者の最大の記念碑? 発想、知識、構成、情感のすべてにおいて圧倒的な大作? SF界の富士山?(この人はしばしば富士を出す。――「見知らぬ明日」ラスト、「復活の日」冒頭、「日本アパッチ族」クライマックス、そしてこの「日本沈没」でヒロインが死ぬのもそこである。――海外の作家が日本の読者に与えることができない、この人独特の感動を、端的に表している)
称賛しようと思ったらどんな言葉でも当てはまるし、どんな言葉でも足りない。
だからまあ、ここでは細かいことに入ってしまうことにする。
私が小松左京を好きなのは、大きくその文に影響されている。ここはひとつ引用してみたい。日本沈没、上巻219〜220ページ、第2次関東大震災の描写。
「危ない!」と安川がキンキン声で叫んだ。「気をつけて、山崎さん!」
足をとられて、あおむけにひっくりかえり、腰をしたたか打って、そのままずるずるっと階段をすべりおちた山崎は、踊り場でやっととまり、立ち上がろうとしたが、打ち鳴らされる大銅鑼のようにはげしく震動する鉄板に足をとられて果たさず、やっと手すりにつかまった。天地が渦まき吼えたけるようなゆりかえしだった。数メートルをへだてた眼前で、隣の木造モルタル建てが、まるでカードの城のようにもろくついえさった。瓦とも、トタンの破片ともつかぬものが、シュッと音をたてて頭をかすめ、火の粉がバーッとふき上げてきた。暗灰色の鳴動する大気の中で、さらに耳を聾さんばかりの騒音をたてて、非常梯子がふるえていた。コンクリートの壁面にとめられた何百枚という鉄板と鉄骨が、ダダダーッとちぎれんばかりに震動するのだ。
この臨場感はどうだろう。その場で見ていたと言われても信じられるほどである。
日本語の使い方にも幅がある。「大銅鑼のようにはげしく震動する」「渦まき吼えたけるような」などの直喩を使ったかと思えば、「バーッ」「ダダダーッ」と擬音を入れる。その擬音も片仮名と平仮名が巧みに混ぜられている。また、頭のところにあるが、「鍵かっこ」人名と動き「鍵かっこ」という、氏特有の台詞回しをして、人物をビジュアルに動かしている。
国語の教師のような重箱ほじりな意見だが、しかし、これだけ柔軟なのに格調を落とさない文を書くことは、見た目よりはるかに難しい。何より恐ろしいほどのリアリティがある。
こいつに、私はアテられた。映画やドラマがいかに隆盛を誇ろうと知ったことではない。日本語はこれだけの力を持っているのだ。
次々と現れる小道具も魅力的である。
SF作家がもっともらしい顔をして、まだ実用化されていない近未来的な工作物を出すのは珍しいことではない。小松氏もよくやる。処女長編「日本アパッチ族」においても、F−150という架空の戦闘機や、原子力空母「富士」、鉄人監視レーダーなどのアイテムをちらほらと使っている。ただそれらは、物語中の昭和30年代の世界に連続的に埋めこまれてはいるものの、それでもまだ肌にできたいぼのような違和感を少し感じさせる。
不思議なことに、「日本沈没」ではその違和感があまりない。時代設定は出版年とほぼ同時代か、少し未来――昭和50年代あたりなのだが、2000年の今でもまだ実用化されていないようなSSTやホログラムディスプレイ、個人用ホバークラフトなどが登場する。なのに、それが実に自然に見える。当時でも自然だったと思うし、今でも色あせていない。――25年前に書かれたSFの小道具が、原理的にではなくデザイン的に、今なおファッショナブルなのである!
こんなことは、架空の部分を支える現実の設定がよほど強固でなくては、できるものではない。普通の作家にはまず無理である。それを言ったら、小松氏は作家の枠でくくれる方ではないのでもっともといえばもっともなのだが、じゃあどんな人物なのか、カテゴライズしようにも当てはまる場所がない。それほど幅の広い人物なのである。
会ったこともない大作家を俎上に、えらそうなことを書いている。これは多分本を読む人間に共通の気持ちで、好きな作家を読みこんでいくと、あたかもその人についてすべてを知ったような、ずっと昔からの知り合いのような気持ちになる、という効果のせいである、と逃げておく。
長々と書いてきたが、私の小松氏へのあこがれは、氏が語ったある言葉へのあこがれに集約できる。それはこんな言葉だ。
SFはただの文学である必要はない。むしろ、文学でしかありようがないものとは、根本的に違うキャパシティを持つのが、SFなのだ。
これほどSFを志すものにとって心強い言葉はない。私の作品を読んでくれる、ひいてはSFが好きな皆さんに、ぜひともこの言葉をお伝えしたいと思う。
(2000・2・19)
テレビゲーム
テレビゲーム。この言葉でピンとくる人がいることを期待します。
今時だれも、ゲームのことをそんな風には呼びません。たいていはプレステ、ドリキャスなど、機種で呼ぶはず。
ここに収録するのは、まだゲームと言えばファミコンしかなかった時代の話。そう、レトロゲームのネタです。
もっとも、プレステもサターンも書きますけどね。(^^;
スターラスター ファミコン ナムコ
2000年の1月はプレステの「エースコンバット2」にはまっていた。これは、フィッシュベッドからラプターまで、東西合わせて数十種の機体を選択できる3D戦闘機シューティングである。慣れるまでは酔うのと肩が凝るのを我慢しなければいけないが、習熟すると結構さくさく敵を倒せて楽しい。
また、いちいち面の始まりに、英語のブリーフィングが行われるのももったいぶっていてよろしい。あ・くーでたー・はず・ぶろーくあっぷ・なんたらかんたら……英語の音声が入っているだけで、ゲームというものの格は間違いなくひとつ上がる。カルドセプトしかり、バイオハザードしかり。
くるくる動き回る敵のZOE(なんの略号だろう?)を追いかけ回している途中、ふと思った。オレハコノガメンヲミタコトガアル――デジャビュを感じたのだ。
既視感のもとは、画面左下のレーダーだった。四角い緑の透過光面に赤青のブリップが表示され、中心から上に伸びる三角形がすなわち自機の視界、この中に入った敵機は肉眼で見ることができる。はて、どこかでこれと同じものを……
そう、スターラスターのレーダーがこれと一緒だったのだ。
またなつかしいゲームを思い出したものだ。
時代的にはゼビウスよりあとでファイエンより前か。ファミコンの黄金時代のころ、日本中の子供たちが、一日のプレイ時間を1時間で区切るかそれ以上にするかで、母親と熾烈な争いをくり広げていた頃だ。
このゲームは当時としては信じられないことに、3Dのシューティングだった。少なくとも、やってる最中はそう思いこめるだけの動き方を、敵がした。
敵は、前方はるかからやってくる。また、直上から一撃離脱をしかけてくる。また、いきなり自機を追い越す。それらのことが、コクピットのレーダー画面からあらかじめ読み取れるのである。
レーダー上で敵を表す白点が、もう自機のすぐそばまで来ている。それなのに視界に入っていない。――つまり上か下か、またはぽんと肩を叩かれそうなほど近くの真横にいるのである。これが目の前に踊り出てくる瞬間には、エイリアンに降ってこられたシガニー・ウィーバーに匹敵するほどのアドレナリンがあふれだしたものだった。
このレーダーがまた芸が細かくて、表示する地平が、絶対座標を基準にした平面ではなく、機軸を基準にした平面なのである。だからたとえば、あなたの真上、蛍光灯あたりに敵がいるとすると、レーダーでは自機とほぼ同じ位置に表示される。しかし、首を上げて視線を天井に向けると――機首を敵に向けると、水平面が回転して敵がレーダー上で正面の位置に来るのである。このあたりの処理はなんだか、エースコンバットより高級なことをやっているように思える。
何のためにこんなわかりにくいことをやっているのかといえば、それは基地への帰投のためだった。このゲーム、マップ画面で基地のそばへワープしても、すぐには補給ができないのである。まず最初に、基地を探さねばならない。
レーダー上で光点を捕まえる。そちらに機首を向ける。次いで光点が一番遠くなるよう、つまり自機と同一水平面に乗るよう上下に回転する。しかるのちに加速。うまく行けば基地が正面に現れて、ドライヤーのような補給用のプローブがびょろろびびっ、と出てくるという仕掛けである。この辺の手続きに、いかにも広大な三次元空間で孤独に仲間を探している、という雰囲気が出ていて、まことにスリリングだった。
敵が強いのもイチ押しなポイントである。
というより自機が弱いのか。ううん、別に弱いわけではない。ザコの弾ならシールドで結構防ぐ。
やっかいなのがディスラプターという敵の連隊指揮官みたいなやつで、巨大なボールのようなこいつが、敵一部隊八機につき一機、控えている。
こいつはたいてい、他の七機を倒したあと出現する。動き回る敵の光点をすべて潰したあと、あまり動かないやつが一つ残れば、たいていそれである。
軸を合わせて突撃する。――小さな点が前方に現れる。それがどんどん大きくなる。どんどんどんどん大きくなる。ほぼ画面全部を占めるまで近づかないと、こちらのビームが当たらない。恐ろしいほどの至近距離で、ボタンも割れよとばかりにビームを連打してやっと倒すことができるのだが――敵が数発撃ってきたらもうだめである。警告灯が一度にいくつも付き(ちゃんとそういうものがあるのだ)、自機がガタガタ震動を始め、最後には大爆発を起こして宇宙の藻屑と化す。
はっきり言って、本作はこいつとの戦いがすべてである。自機の成長というものがほとんどないこのゲームでは、どれだけゲームを進めてクリアに近づいても、このデススターみたいなやつとの戦いで破れれば、それでおしまいなのだ。セーブ機能などない時代のことだから、このようにして涙を飲んだことが何度でもあった。かくして私は、いまだにこのゲームをクリアしていない。
ナムコのゲームの味わいと言うものをひとつ。
やはりそれは、泥臭さがないことだろう。この会社のゲームは、徹底的にクールだった。たとえばコナミでは、グラディウスでモアイを出し、ツインビーでナベカマを出すなどやや子供じみてギャグっぽいところがある。タイトーのシューティングはビームが自機より太くなるなど大げさすぎである。任天堂は割りきってお子様向け、というか家庭向けに徹している。
しこうしてナムコのゲームからは、金属的な匂いが感じられる。ベタつきのない乾いた手触りである。スーパーマリオをクリアしたときは、ピーチ姫日本語でしゃべってくれよ、と思ったものだが、ドルアーガをクリアしたときには、あの英語のスタッフロールが、場違いどころかスタイリッシュですらあった。
これは私の好みとはちょっと違うのだが、自分にないからこそ好きなのである。あの先鋭的なカッコよさは、逆立ちしたって真似できるものではない。
スターラスターには、このカッコよさの萌芽がすでにしてあった。ランドセルを放り投げて赤いコントローラーを握っていたあの頃、頭ひとつは背の高い上級生を仰ぎ見るような近寄りがたさを、ナムコのゲームからは感じたものだった。――何しろクリアできなかったし。(2000・2・23)
ファイアーエムブレム ファミコン 任天堂
ジャンルわけすると、ファンタジー系シミュレーション、後のシャイニングフォースや伝説のオウガバトル、ラングリッサーなどにつながる系統となるのだろうが、こいつには、ゲームらしからぬ一種すさまじい設定があった。
死んだ奴が生き返らないのである。
そりゃゼビウスやマリオだって生き返りはしないが、あちらには残機数というものがあって、何回でも繰り返しプレイが可能である。個々のキャラに個性もない。
しかしこのファイエン(と呼ぶ)では、それぞれのキャラに名前とパラメータと、この時代としては凄いことに顔写真までついて個性を主張していたくせに、いったん死んだらそれきり忘れ去られてしまうのだ。いつ死ぬかいつ死ぬかとどきどきしながらプレイするのが本作の最大の醍醐味であった。
そのスリルをさらに際立たせている要素がある。敵の「ひっさつのいちげき」である。ドラクエあたりでもこれは相当怖かったが、本作ではなんとそれが、通常の3倍のダメージを食らわせてくる。防御力の高い戦士系ユニットでも、これを食らうとたいてい即死したものだった。
またその時の演出がいい。戦闘シーンのグラフィックはファミコンにしてはかなり美しく、襲いかかってくる敵の動きとヒットした時の「ドカッ!」という音は通常でもかなりリアルだったが、必殺の場合はそれが、「ズダダダダーッ!」という大音響になるのである。出るな出るなと祈っている時にこいつが発生すると、冗談でなく青ざめる。そして「ビィーヴゥー」と死亡音。彼が帰ってくることは二度とない。
まめにセーブすりゃいいじゃん、という意見は正しい。
もちろん、各面最初のセーブは必ずおこなっているのだ。死んでもそこから再開すれば、キャラはちゃんと何食わぬ顔で復帰している。
しかしである。シミュレーション系のゲームの常で、本作も一面あたりの手間ヒマが結構長いのだ。ザコをなぎたおし、ショップに寄り、きわどい攻撃をかわし、苦労してボスに近づいたところで、隠れていた弓兵なんぞに狙撃されて死ぬ奴が出てくるのである。
主力級の騎士や魔道士がやられれば、これは涙を飲んでリセットしてまた面の最初からやりなおす。だが、こいつ弱いよなあ、もう二・三面使ってレベル上げようかなあ、でも面倒だなあ、という奴が不運にして倒れた時は――わざわざそいつ一人のためにリセットするのはしゃくなので、上層部の戦略的判断に基づきこれを見殺しにして、次の面に進んでしまうのである。一将功成って万骨枯れるわけだ。
別の判断がからむ時もある。
このゲーム、キャラに女が多い。ちゃんと各個人のポートレートがついている。それが私的基準において結構好みなのである。
これが大戦略とかの兵器ものゲームだと、純粋に強さのみでユニットを評価し、時として、おう向こうのA−10がトムキャットに食われそうじゃないか、しゃあないイロコイ、ちょっといけにえになってくれ、というような決断を下すこともある。
しかし、なんぼ突撃隊長のカインが瀕死だからといって、そしてそばに役立たずのマリアしかいないからといって、はたちも出ていないような彼女を敵スナイパーの前に差し出すことができようか!
できずに、まあカイン丈夫だからほっといていいだろうと思ったすえ、必殺を食らってあたら若い命を異郷の土に還すことになった時の悔しさたるや。
たかがゲームなのだが、そんな冷静さを失わせるようなカリスマのあるゲームなのである。かくて本作は10回以上私にクリアされ、私のゲーム史に燦然と輝く金字塔を打ちたてている。
余談だが、このゲームのオフィシャルハンドブックが忘れられない。随処におり込まれたヨーロッパ各地の写真からはファンタジーの香りが馥郁と漂い、作品世界の雰囲気を華麗に盛り上げていた。
それをなくしてしまったのである。どなたか持っていたら、譲っていただけないだろうか?
(2000・2・17)