[22:38 2005/06/17 金] シラタキと線刻
▼大きな海に深く手を入れて、からまりあった無数の海水の一端をつまみ、つるつるとシラタキのように引きあげる。何度かぷつぷつと途切れた末に、ようやく長い一本を探り当て、必要な分だけつるつるつると手に入れる。(しばしば長すぎて、最後のほうをくしゃりと丸めてしまうこともある)
大きな石版が一面の砂に覆われているのを、指を当てて始点を探し出し、さらさらとなぞって線刻をあらわにさせる。何度か短い線で終わった末、ようやくどこまでも続く一本を見つけ出し、他の無数の線との交差を経て終点まで行く。(まだ続いている溝から指を離すこともある。砂に覆われているのでどこまで続いているのかはわからない)
そういうことをいつもしている。
海にも石版にも、まだまだ十分なシラタキと線刻が隠れているのがわかるけれど、人間がそれを見出すことのできる期間には限りがあるらしいので、一本でも多くあらわにしてやりたいと思っている。
[20:39 2005/06/09 木] 味道楽01
▼突如としてローストポークが作りたくなったので、作る。自慢にもならないが私の料理のレパートリーはカレー・シチュー・ホットケーキ程度。
ウェブで調べると、ローストポークという食物は非常に制約がゆるく、人により国により、あぶってみたり焼き目をつけてみたり茹でたり蒸したり味をつけたりつけなかったり、製法は千差万別と判明。しかし大要次の二点だけはなぜか共通していたので、それを守って作ろうと決めた。
1.豚肉の塊を熱する。
2.金串を刺して透明な肉汁がこぼれてきたら食べ時である。
スーパーで豚もも300グラムを二つ買ってきて、600に合体させることにした。できるだけ大きいほうがいいらしい。
しかし帰宅して試してみたら、600グラムの肉塊はガスコンロのグリルで天井につかえてしまう。天火? ガスであれ電子であれ、そんな気の利いたものはうちにはない。
仕方なくニクロム線の張られた650ワットのオーブントースターで作ることにする。適当もいいところだ。
買ってきたのは肉とブラックペッパーのみ。他の調味料類は味がわからないので避けた。けだし料理の失敗は不必要な手順の増加によって生じるものなり。
肉に塩とペッパーをすりこみ、二枚を張り合わせて緊縛する。ここだけ見るとなかなか立派な材料となる。後、ビニール袋に入れてロリコンでもらってきた日本酒を注ぐ。これもワインの代用である。そのまま15分寝かせる。本当は一晩ぐらい置いたほうがいいらしいが、今 夜 食 べ た い のだ私は。そこんところをわかってない料理サイトが実に多くて遺憾である。
金皿に載せ、トースターで焼く。途中で色気が出てきて、漬け汁に使った日本酒にしょうゆを混ぜてフライパンで焼き、たれのようなものを作る。15分たってトースターがチンと言ったので、一度肉を引き出し、たれをかけて反転させてまた入れる。再び15分。
ここからが山場だ。箸を刺してみたが例のものは出てこない。「透明な肉汁」だ。
肉のどのぐらいの深さから、どの程度透明なものが、どれだけ出てくれば、調理終了と判断していいのだろう。まったくわからない。成否は「透明な肉汁」がどれだけもっともらしく出てきてくれるかにかかっている。頼むぞ「透明な肉汁」!。
30分経過。ふたを開けると、肉の天面がかなり黒焦げになっている。むー、これは大丈夫か? 箸を刺してみると……。
出た! 肉汁! 上向きの穴なのに内圧であふれてきた。だがしかし、赤い!
赤いのが出るのか。だからわざわざ「透明な肉汁」と指定されているわけだ。うむ、仕掛けがよくわかった。
さらに15分後を目指して反転させ、加熱を続行。
35分、40分のタイミングでちょこちょこと肉汁チェック。心なしか「透明な肉汁」度が上がっているような気がする。しかしあくまでも心なしかだ。確たることは申し上げられない。これが惨敗に終わるのか、それとも栄光に満ちた勝利に終わるのか、誰にもわからない。45分まで待つしかない。
できました。
普通に食べられた。妻子にも好評。普段、目玉焼きレベルの料理しかしない人間にしては上出来。
課題もはっきりした。
1.固い。おそらく焼きすぎ。650W45分では長い。40分以下でいいようだ。
2.味が単調。もうちょっと手間をかけ、まったりした味付けにして、漬けおき時間をしっかりとること。
以上、突発ローストポーク計画終了。
そして当然、この道楽は仕事からの逃避だったりする。
[10:36 2005/05/31 火] What sex and material do you have?
▼ 中日新聞30日夕刊より、二点。
・ 金沢地裁が住民基本台帳ネットワークシステムの性質について「自己情報コントロール権」に言及し、住基ネット上で提供される氏名・住所・生年月日・性別の4情報は「プライバシーにかかわる情報として自己情報コントロール権の対象となるべきだ」と裁定した。
これを知って思い出したのは、グレッグ・イーガンの万物理論。未来の地球では性別がプライバシーになっていて、人に性別を尋ねることはおろか、外見で性別を判定することさえ避けられる(そういう思想が大きな勢力になっている)。「男ですか、女ですか?」と尋ねることが、現在の世界で「あなたはニグロですか? インディアンですか?」と聞くのと同様、タブーになっている。そしてその世界には七つもの性があって(うちいくつかは今の地球にもある)、人々は自分がそのどれであるかを任意に選択している。
思想の方向性としては正しいし、小川個人としてはぜひそういう世界になってほしい。でも、そこまでいくと人間がついていくには厳格すぎる。
公平さを極限までおし進めると、人間の感覚と乖離してしまう。人間は多分、もともと差別するようにできている。差別をなくそうとする思想は、摩擦が生まれるのが当然で、それを押し進めることは結果として逆の弾圧にもつながることを忘れてはいけない。
金沢地裁の裁判官がイーガンを読んだらなんて言うかな。
・同じく夕刊、「万博のうた」という一面の写真コラム。
トヨタのパビリオンで行われているロボット舞踊の記事。ステージ上で踊る複数のロボットを制御する、舞台裏の制御室を取り上げている。気になったのは記者の視点。
「ロボットや一人用の乗り物「i-unit」の動きは組み込んだ命令通り。だから(制御担当者の)仕事は演技開始やロボットの登場時に、舞台裏に合図を送る程度。」「動きは組み込んだ命令通りの“規定演技”。(中略)最後は人の目で微調整する。」「技術で驚きを作って、楽しんでもらい、その笑顔を喜ぶ。最先端の裏には変わらぬ人の姿がある。」
要するに、ハイテク万博の裏には血の通った人間がいますよ、という記事らしいんだけど、強い違和感があった。その違和感がなんだかわかったとき、ちょっと面白かった。
ロボット工学的な視点から見たら、いわゆる“規定演技”をやる機械なんて全然たいしたものじゃない。それは煎じ詰めれば、時間と位置の規則を機械がどれだけ守れるかという、精度の問題でしかない。ロボット的な高度さを狙うなら、自律度が高いほうが優れている。だからこの記事は、「機械はいまだに人間の手を必要とする。けれども将来はきっと自分たちの頭で考え、動いてくれるだろう」と結ばれなければいけない。というより結ばれてほしい。
なのに記事はそうなっていない。それどころか「機械はいつまでたっても人間の手助けを必要とするであろう、してほしい」と言わんばかりの論調。これはどう読んでもおかしいだろうと思ったのだけど……。
はなからこの記事はロボットの記事ではないんだな、と気づいたときに記者の気持ちがわかった。これ、伝統芸能の記事なんだ。客席の観客と、舞台裏の担当者の気持ちの交流を記者は書いたつもりなんだろう。この人にとってロボットは、刀匠の日本刀や、浄瑠璃の人形のようなものなんだ。言われてみれば確かに、トヨタのロボットは原理的には、高度に進化した人形浄瑠璃だ。
でもロボットはそういうものじゃないんだけど。
ロボットは、道具ではなくなる方向へと進化している。もっと厳密に言うと、あらゆる道具の中でロボットだけは、道具でなくなることができる素質がある。その方向性を突き詰めるのがロボット工学の精髄というものだ。学問であり哲学ってものだ。そうでなければただの実学でしかない。
トヨタは実学の申し子としていまや世界一の自動車企業に登りつめようとしているけど、ロボット舞踊でまで実学を表現したいわけじゃないだろう。文化的でありたいはず。
担当者が「将来は私たちなんか要らなくなりますよ」ってコメントを言ってくれると面白かったんだけどな。実の子を見るような目で。
[1:37 2005/05/30 月] 節目終了・臨時キリシタン
▼ 今月上旬に鉄道ものの上巻に一区切りついて以来、早川の短編をいろいろやっていた。以前書いたやつの修正とか、新規に執筆したやつの直しとか、雑誌に乗るやつとか。
このあたりは夏までに出る予測。
それが終わったので、これから鉄道下巻に取りかかります。
よーし燃える燃える。
▼友人である新郎と新婦がミーハーなせいで(二人ともクリスチャンじゃなかったはずだ)、出席した結婚式はばりばりのキリスト式。神父は外国人でしばしば英語を交えるし、聖歌も歌わされまくり。 二人が主役なんだからと、神妙に従っていたけれど。
クリスチャンでもなんでもない(それどころかカトリックの教義について大いに言いたい)のに祝祷をうけ、聖歌を歌うのって、大変に落ち着かない。いっそ信者だったらよかったのにとため息をついた。
……あと、名古屋婚の常で、新郎新婦個人の結婚というよりは、両家の結びつきを強調する演出が出まくり。帰ってから妻と検討したけど、名古屋ってフェミニズム的にものすごく遅れてるんじゃないかと考えた。
[22:53 2005/05/13 金] 中間駅
▼ 鉄道ものの上巻分ができた。7月か8月に出版予定。
[19:41 2005/04/21 木] グラン・ヴァカンス -廃園の天使<1> 飛浩隆
▼ この人の「象られた力」を読んで、五感で読むような素晴らしい文章に感動したので、こちらも読んでみた。結果は正解でとてもおもしろかった。
「五感で読むような文章」だと思ったのは、文中の描写に肉体感覚が多用されているため。それも光について味覚で形容したり、音について視覚で形容したりといった斬新な使い方が多い。読んでいていちいちハッとさせられた。(それらの文を作るために、きっと作者はものすごく考えたと思う)
それだけなら人間を書いたただの小説だけれど、面白いのは舞台がコンピューター内の仮想現実空間である点。人物も光景もすべて計算で生じているものなので、それらを形容する表現も、計算機用語で説明される。食べ物の味や肌の温かみや動きや景色や音楽が、まず情報であるということを大前提として書かれている。
うーん、今気がついたけど、この話は仮想現実空間の話じゃないかもしれない。読者が作品世界に入りやすいようにVR世界を舞台にしているだけで、作者としては現実世界でやらかしても別によかったのじゃないか。だってこの世界だって、仮想現実空間と同じく、粒子とレシピでできているんだから。いじっていじれないものでもない。
外界があって、感覚というインターフェイスがあって、それを受ける自分がある。この三つの関係を強調してみたり、変容させてみたり、逆転させてみたり、重複させてみたりといった試みが、この人は好きなのだと思う。私もそういうのが好きらしくて、読まされるのが楽しかった。
あと、肉体とかセックスに関することを、私もずっと前から描きたいのだけど、作品への織り込み方がいまだにあまりわかっていない。描いても浮く。とりあえずセックスの快楽を描くことだけを目的にしていてはいけないらしい。その先まで描かないとあえてセックスを出す意味が生まれない。
「その先」というのは、後戯を描くとか、SMや変態残虐倒錯プレイを描くとか、あるいは妊娠出産を描くということではなくて、人間という仕組みをいろいろ惑わしたり、引っぱり回したりしているセックスを、応用したり転用したり治療したり解釈したりするということ。
飛氏はその辺がわかっている人の一人のようで、うらやましかった。
[9:41 2005/04/20 水] 四歳の機能 理想の偏食
▼ ぶかぶかのスモックを着て、大きな鞄をたすきがけにし、左手に傘を持って、脱げやすい長靴を履いた状態で、車の後席から狭い隙間を通って前席に出て来つつ、「自分でやるからー!」と自律性を誇示してみせる下の子供に、もう九時だから早くしなさいと怒ったのだけど、彼が四年と十ヵ月前はDNA上の遺伝情報に過ぎなかったことを考えたとき、なんて高度に作りあがったんだろうと少し感動した。
▼ 食べ物の好き嫌いについて。
教育のせいだろうけど、昔からなんとなく、人間はあらゆる食べ物をバランスよく食べるのが望ましい姿であって、偏食は悪なのだと思っていた。
でも落ち着いて考えてみると、雑食動物が生まれたのはどんな食べ物でも生きていくためであって、あらゆる食べ物を食べるためではない。当たり前の話で、そんな贅沢を言う生物はさっさと淘汰される。
人類史が始まってからでさえ、栄養バランスなんてことを考えられた人間は、ほんの一握りの富裕な連中だけだった。それも、どちらかというと体のためというより舌のためだ。
するとこの、全食主義とでも言うべき思想はどこから出てきたんだ?
戦中戦後の貧困から、食えるものは何でも食わなければ生きていけない、という緊急対処法ができあがったのはわかる。けれどもその後、食べ物が余り始めたのに全食主義が生き残ったことに納得がいかない。
仮定の完全食物Aというものを想定して、全ての食べ物をそれに統合しようなんていう思想があってもいいじゃないか。なにも全ての人間が、食べることを楽しんでるわけじゃないんだから。私の記憶では、強度の好き嫌いのために食べることが苦痛だった時代がかなり長かった。
……しかし現実はそうならず、逆に料理というものは無限に多様化している。しかも他の文化と違って、料理は時代を経ても劣化していないような気がする。料理を画一化しようなんて試みはほとんど起こらなかったし、起こったものもろくな結果になっていない。カロリーメイトとかマックとか。
えーと、なんか面白い考えになってきたぞ。また今度続きを考えてみるか。
などと考えつつ、いま親子丼を食べている。
今の私は同時代の多くの地球人に比べて三食のコストがとても安い。生物として未曾有の楽園にいると思う。
▼ ↑あとで見直したらはじめのほうの論理の組み立てがおかしい(^^;
全食主義以前に偏食だとやっていけないって、自分で書いてるじゃないか。悪いほうから順に言うと偏食>全食>汎食。学校が生存のために教えることがあるとするなら「何が出ても食べられるように備えなさい」――結局まずい給食の肯定になっちゃった(・_・、
けれども通常、心の豊かさはおいしい食事から育まれると言われる。人間の豊かさって生き物として弱くなることでしかないのか。
[9:46 2005/04/19 火] RCB2 006 開眼
目覚めました。
リカンベント特有の乗り方その1、みたいなものに達した気がします。
今日は乗りやすいな、という兆候がおとついあたりからあったんですが、昨日の朝、いつもより多く6Kmほど乗ることにして、夜に帰ってきたらもう掴んでいた。
その乗り方というのは、前輪に乗っているつもりで乗ることです。あるいは膝の間を水平回転軸にするというか。普通の自転車より半馬身前にいると心得るというか。
もうひとつのコツは、高速走行用の寝そべり姿勢と、低速走行用の背筋を伸ばした姿勢を、意識して使い分けること。特に後者をためらってはいけない。腹が圧迫されて若干苦しいんですが、やばいと思ったらすぐ起き上がると操舵しやすくなります。
昨日の後半は、操舵方向と反対側に残るペダル部分が、船のバウスプリットのように思われてきて、がぜん楽しさが増しました。
※ただし、これらの要諦はRCB2だけの車種特徴かもしれないことを断っておきます。
やあしかし、自転車にこんな明確なブレイクスルーがあるとは思わなかった。
乗りにくいからって早々と売らなくてよかったよ。
[15:00 2005/04/17 日] RCB2 005 慣熟中
[21:57 2005/04/07 木] 蒸気ざんまい
蒸気機関車の文献がないかなあと書店へ行ったら、蒸気機関が売っていたので買いました。
大人の科学マガジン 07号。
組み立てても最初はやっぱり動かなかったんですが、ボイラーのパッキンを直してネジ締めなおして摺動面を削ったら、みごとに作動しました。子供といっしょに大喜び。
「高速スピードや」「うん」 (aviファイル、4MB)
途中からゆっくりに見えるのはストロボ現象。
2ccのアルコールと10ccの水で、およそ3分動きます。これがいつまで見てても飽きなくって。ワットやスティーブンスンも最初はこういうのを作ったんだろうなあ。
けれども、ずっと見ていると、このどんくさい構造がじれったくなってくる。外から加熱なんてまだるっこしい、中に発熱体を入れればいいじゃないか。いや、中の液体を熱源にすればいいのか。ボイラー内でアルコールを燃やして……待てよ、シリンダーの中で直で燃やせば……。
あ。
つまりそういう過程で出てきたか、内燃機関。
先月末は、京都の梅小路機関車館にも行ってきました。
いくつか並べておきます。
小型タンク機、B20。 (その動画、2.9MB)
日本最大の旅客用蒸気機関車、C62。
C62ご尊顔。
[12:36 2005/04/02 土] 四月一日
もちろんエイプリルフールのジョークなので、ご心配なきよう重ねてお願いします。
お騒がせしました。